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つれづれ

運が悪くても大丈夫な理由

最近不運続きで凹みがち。昨日もちょっとしたことが
(いや。ホントは全然ちょっとしたことではなく鉛級なのだが。くぬぬ)。


食事の支度をしながら娘に
「なんでこんなことばかり続くんだろ? 運が悪いにもほどがなくない!?」と
愚痴をこぼしたら、娘はこう言ってくれました。


「大丈夫。気にすることないよ。そんな今年はもう終わりやし♪」


…おもしろい! 




時々思うんです。


相談やら「傾聴」やらをかじったために、私にはなんか、こう、特殊なクセがついているんじゃないか? と。
そしてそれが、周囲の人たちに対して、あるパターンを期待(というか予期かな?)させてしまって私を窮屈にしていないか? と。
( ↑何を言ってるのかわかりにくいですね)


例えば、今回みたいな、何かひっかかるものを感じているときに、
「◎◎さぁーん(涙)」と話したい相手を思いうかべたり、
××さんならどう言うのか意見を聞いてみたいと思ったりするんだけど、


なんとなーく、実際に打ち明けてみる前に、「あの人なら、こんな風に聴いて、こんな表情や声のトーンで、こんなあいづちをうって、聴いてくれるんだろうな」と思い浮かぶものがあって
(そういうあてはめは超失礼なことですが、想像するわけではなく思い浮かんでしまうものなので、この感じに罪はないのです)、


電話しようと受話器を持ったのに、その手を降ろしてしまうってことが、けっこうある。
実際は私の思い浮かぶ通りになるはずがないですし(生身の人間が相手をして聴いてくださるわけですから)、話してみれば楽になるかもしれないのだから、受話器を降ろすことないのに、と思いつつ。


その躊躇は、信頼できない相手だから話せないとか、こんなことを聴いてもらうなんて悪い、などの気持ちとは全然別物です。


それがわかるがゆえに、『私に』特殊なクセがついてしまっているのではないかなと点検したくなったりしちゃう。



たとえば

「『大丈夫』と安易に言ってはいけない」とか、
「『お気持ち、わかります』となぜ言えよう? 不可能だ」とか、
「根拠のない一時しのぎは相談者を傷つけることもある」とか、
「評価や分析を交えずに」とか
「話してくれて、ありがとう」とか(笑)、


人の困りごとや気持ちを聴くときのポイントは、いくつかあるように思うけど


ポイントを寄せ集めることで『全体(whole)』になりうるかというと、それもまた違う(当たり前なんですけど)。


大丈夫と言ってもらえることで背筋を支えてもらえる感じがしたり、
『わかるよ』のひと言に固まっていた何かが溶け始めたり、
論理的でなくても発想を変えたら楽になれたり。


そうした事実も『全体(whole)』の一部には違いないんだよなーとつくづく思いました。


娘が、丸ごとの(whole)彼女で、虚勢や飾りなく、
ただ感じたままにコメントしてくれたから、こんな連想が広がったのだと思います。
娘に感謝。



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(c)「女性に役立つセルフディフェンス」WEN-DOインストラクター 福多唯
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by selfdefence | 2008-12-04 16:17 | つれづれ

ふくだゆいです。自己表現や思考スキル、日本語の講師です。20年以上前のある日、声をあげたら、『蓋』が開いたんです。びっくりでした。蓋の存在にすら気づいていなかったので。以来、困ったときには探すようになりました。どんな声でどんな蓋を外したらいいのだろう?と。基本閉じていてひとりの時間が好きな私でも、声探しに助けが欲しくなることがあります。声探しの場を求める人と繋がれたら嬉しいです。


by selfdefence