こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。
先日、私の誕生日に
うちの子ども2号(といってももう23歳)と一緒に、
2号オススメの「アラジン」を一緒に見ました。ディズニーの実写版の方です
すっごく良かった!
ミュージカル映画としてもファンタジーとしても素晴らしいですし、
ジェンダーの視点で見ても良い感じでなので私の周りの人にオススメしやすくて、
「自分の願いの叶えかた」の物語として、最高でした!!
アラジンが、はじめて魔法のランプをさすり、
魔法のランプから願い事を3つ叶えてくれる魔人と出会ったときのこと。
魔人に王女への思いを打ち明けたアラジンは、
「王女との仲には何が必要だ?
叶えてやるから、遠慮せずに言ってみろ」と魔人に促され、
『じゃあ…、どうか、僕を、王子に。』と言います。
そんなアラジンに、魔人が言います。
願いごとは明確に。
その言い方では、お前をどこかの国の王子に会わせてやればいいのか?となりかねないぞ、というわけです。
(ここで教育のためのTOCのATTを思い浮かべるのは私がTOCfEオタクだから? )
「僕は王子になりたい!」と、語尾まではっきり言えた瞬間に、
アラジンは魔人の魔力によって、王子になるのです。
うーん、深い! なんて深いんだ!!!!!
詳しく明確に願う。
簡単なようでいて、難しいです。
アラジンの場合も、映画の中での短い時間ではあったけど、
『こんな自分が王女である彼女に釣り合うのか?』と葛藤して自問するシーンがありました。
最初から、何も恐れを感じないくらいにそれを目指す気持ちが揺るぎなくて、
『〇〇になりたい!』『●●が欲しい!』と強く思える事柄もないわけではないけれど、
長い人生で、人はたくさんのことを願うもの。
多くの場合、叶えるためには、アラジンのように、
覚悟を固めてゆくための自問自答のプロセスを必要とするのかもしれません。
うん、やはり、そう考えると、
自問自答の際の視点や思考ガイドの手順って重要です。
Wen-DoもTOCfEも使い倒さねば。
こちらがアラジンの予告編。
アラジンの「I wish to become a Prince.(僕は王子になりたい!)」が入ってます。
もう一つ、響いたシーンがありました。
アラジンが海に水没して気絶してしまい危機一髪!となるところ。
海底に身を沈めたままのアラジン。
そこに相棒が、アラジンを助けるために、魔法のランプをわざと落とします。
海底でアラジンの手がランプにこすれ、ランプから魔人が現われるのですが、
気絶したままのアラジンは、魔人が揺さぶっても意識を取り戻しません。
魔人がそのアラジンに叫ぶのです。
頼む!言ってくれ!!!
願いを言ってもらえなきゃ、助けられない!
ああ〜〜
Wen-Doをやっていて、何度心の中でそう叫んだかわかりません。
支援や人材育成などをしている人の多くは覚えがあると思います。
それに我が身を振り返っても
つい、「言わなくてもわかって欲しい」と願ってしまったり、
あと、
私が私の願いを言うことが、相手にとって良いことかどうかわからないなどと
まるで自分が良い人であるかのように考え始める(苦笑)ことも私はあります。
どちらの場合も、大抵の場合での真実は、
億劫な気持ちやおそれの感情があるだけ。(私の場合、です。)
そうした感情の正当化のために、他人のせいにしてみたり、
周囲から理解・賛同を得やすそうな理屈を後付けで当てはめちゃってるだけなんですよね。(ここも、私の場合、です。一般論として書いているわけではありません)
人生は子どもの頃に思っていたほど長くはないのだと
やっとわかってきました。
誕生日を迎えたこともありますし、
これからは、
真の願いが何なのかを明確にし、
そしてそれを口にし、
自分でできることは着実に実行します。
葛藤と自問がつきまとうので、自問自答が好きな私はもたつきやすいのだけれど、
やるうちに、きっと少しずつ慣れて、スピードは後からついてくるはず。
うん。やろう!