こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。
「ダメ、絶対」だけではない
依存症予防教室モデル事業in金沢
参加しました。
50分の授業(講演)を5本聴講して、帰る時に運転しながら気づいたことがあります。
こんな風に50分ごとで立て続けに授業を受けるなんて、高校時代以来や。
もちろん、今回の講師陣は引き込まれるお話ばかりで、
退屈することも眠くなることもありませんでした。
一方で、
どんな教師・講師にも『新人』時代はつきもの。
「こんな風に引き込まれる授業のできる教師ばかりならいいのに」と不満をこぼすことは簡単ですが、
成長のプロセスを省くことのできる人はいません。
いろんな人が、授業や講義をするのが社会の現実です。
そう考えると、
1日に6〜8時限とかの授業を、
連日、毎日受ける中高時代の10代の子どもたちって、
すごいです。
自分も偉かったよなぁ…と思ってみたり。
『「ダメ、絶対」だけではない』とタイトルにつくこの事業では、
最後の松本先生のお話の中で、
「ダメ、絶対」のあの強烈フレーズの原語が紹介されました。
Yes to LIFE.
No to DRUGS.
「それでも人生にYESと言う」のフランクルを思い出しますね。
素晴らしいです。
なのに、前半が落ち、強烈な日本語訳だけが広まってしまったのですね。
その結果、
『人間を辞めることにつながるから薬物は絶対にダメ』というような
ネガティブなイメージが広まりました。
そのことでの弊害ははかりしれません。
自分を蝕むものからは距離を取りましょうね、という意味で行われる
あらゆる予防教育には、
Noと言ってもいい。Noと言える術を持っておこう。
そんなメッセージが共通して見られます。
その理由は、
Noと言えないとダメだからではないし、
Noが言えなければ生きる資格がないからでもありません。
自分を蝕むものに対してNoと言うことは、
自分を蝕むことのないもの、
自分を生かしてくれるあらゆるものをYesと選びとることだから。
それを理解した上で、さらにもう一つ、
大人になるにつれて考えておきたいことがあります。
Noと言っても、それがすぐに・必ず、通るとは限らない ということ。
Noを言う術を多様に持っていられることは、人にとってお守りになります。
Wen-Do が“世界が変わる 私のお守り”なように。
Noを言う術を増やせば増やすほど
Yesを選びやすくなります。
そう考えると、一番怖いのは、
「私にはもうこれしかないんだ」と感じるしかない局面に人が追い込まれることかもしれません。
暴力被害も同じです。
「私はこの人に従うしかないんだ。従うのが当たり前なんだ」となっている時には
逃げることは想像もつかない。
「私にはこの人しかいない/この人には私しかいない」ってなっている時にも、
相手から離れる選択はできなくなります。
よく、いじめなどのテーマで、
「友達は多くなくても大丈夫。一生にひとりかふたりほどいれば、それでいいんだよ」とか
言われたりするけれど、
あれが、言葉通りに受け止められて、
コミットできる関係性の相手が特定の数人しかいない、なんてことになったら、
実はそれはかなりリスキーです。
本当は、
友達は多くなくても大丈夫。
友達と呼べるかわからない間柄だとしても、
『先輩』、『腐れ縁のあいつ』、『冷静に意見をくれる知人』、『●●に詳しい××さん』
『気晴らしに会うには最高なあの人』、
『レジに並ぶならあの人のレジが速い!』、
『バスの運転手さんがこの人の時は急ブレーキがなくて安心』など、
様々な場で、思い浮かべられる人が複数になると、豊かで楽しい人生を送れるよ。
ってことだろうなと。
私も、自分が依存症だった14年間は今は昔となり、
依存症関連のこうした場に行く頻度は今ではかなり減りました。
Wen-DoやフォーカシングやTOCなど、
別の面白いことや所属感を持てる場が今の私にはあるからです。
これからは遊びや娯楽で人と関われる場ももうちょっと持てるようになっていきたいものや。
社会に出る前の若者の交友関係は家族や学校関係の人という、狭い範囲になりがちです。
若くなくても、困難に陥ると、同様になることが多いです。
だからこそ、
Yes to LIFE. をメイン目標に。
Noの示し方や断り方は、目標を手にするための手段。
その区別と意識を大事にしながら、
Noの示し方を、Wen-Doで広めようと思いました。
依存症予防教室モデル事業、素晴らしかったです。
元気をもらいました。
お住いの地域での開催を、ぜひお見逃しなく^^