こんにちは。世界が変わる わたしのお守りWen-Doの福多唯です。
4月8日(日)は、自分を大切にする定期学習会 ゆらっくでした。
Wen-Doは、ピンチのときに身を守る自己表現や
その実行方法を学ぶことに焦点をあてているプログラムで、
ゆらっくは、ピンチのときの実行力をあげるために、
「自分の声を自分で聴く」「自分とやさしく対話する」
「自分をいかす考え方を選ぶ」「必要な一歩を踏み出す」
などを学んだり考えたりする、学習サロンです。
* * *
4月のゆらっくのテーマは、「私を愛する」。
教材(?)は、エーリッヒ・フロムの名著「愛するということ」。
私の視点で、フロムさんの主な主張と思える部分を拾い、
数行ずつテキストに起こした資料を、
参加の皆で輪読し、感想をシェアしました。
ちょっとずつの輪読というこの方法、
大好きです。
どこで最初に体験したのだったか…。
セルフヘルプグループ運営に関する研修だったかな。
以来お気に入りで、もうずっと18年ほど、私は皆で資料を読む際にはこの方法です(^-^)
自分の番が回ってきたら、
声にだして読みたいと思える分量だけを読む。
それを、進行役も含めた場の全員でグルグルと回します。
1文だけでもOK。1段落読んでもOK。
数段落でも1ページ分でもOKです。
《声にだして読みたいと思える分量》がミソで、
それがどのくらいまでなのかは、
声に出して読み始めることでわかるという感じもまた好き(^-^)
やってみると実感が湧いてわかる。
何事もそうなんだなあ、って思えて。
人数が3人以上なら、聴き手の時間のほうが多いのも楽です。
読み手の番が回ってきたときにも
読む分量を指定されるわけではないので、
心身がちょっと弱り気味なかたも
無理をせずにグループの輪に参加できます。
(こうした場を欲するかたって、
どこか弱り気味だったり、
やっと回復してきました、ってことも少なくありません。)
自分以外の人がこの場に、この世界に、いてくれるから、
自分が楽なんだよなあ〜って、
普段は感じにくい当たり前のことがわかります。
読み手が次々と変わるのもいい感じ。
音読にはご本人が意図しないその人らしさが表れて、
それで、うふふと嬉しくなったりするのです(^-^)。
ひとりの人物が朗読するわけではないので、
「この人の読みかたの癖、気になるな〜…」とか、
「私の読むペースと合わないっ!」とかいう状況が続くこともありません。
よくあるのは、
同じ人物が最初から最後まで通して読み、
自分は黙読で目で追いながら内容を確認していく…とか、
進行役に「●●さん、ここからここまでを読んでいただけますか」
と指示されて部分部分を読むとか、
あるいは、各自で黙読ましょう…などですけれど、
輪読形式をとると、それらとはまったく異なる質の場ができます。
様々な人の声音や口調で読み上げられるのを聞きながら
文を目で追い、黙読すると、
全てをひとりで黙読する際に生じがちな「読み飛ばし」
「ひとりよがりな読み違いや解釈」「感情」も入りにくく、
文章がふらっとに自分の中に入ってきます。
それによって響くものを感じながら、
感想を言葉にしてみる…という時間でした。
終わってから、参加者さんが
「あの資料を作るのって大変じゃなかったですか?」と聞いてくださったのですが、
輪読会は、資料づくりの段階から得るものが多くて
大変だけれど苦ではないです。
資料作成のために抜き書きをしようとするときって、
「本の全体の要旨として欠かせないのは?」
「著者の『らしさ』がわかる部分はどこ?」
「学習会のテーマを考えやすくなるのは?」
みたいな問いが自分の中で不可欠になるので、
書籍に対して、問いを立てて回答を見つけるという双方を
能動的かつ自発的に進められる機会に、自然となるのだろうな。
講習やグループワークの講師的役回りを将来やりたい人や深めたい人には、
私は、輪読会の主宰を一押しします。
アドバイスをしようとしなくても良い、ということとか、
場の力を借りる・生かす、ということとか、
平場(ひらば)を作る、ということとか、
そのためには自分がどんなありようでいたらいいのか、とか、
もちろん、開催に必要な一連のプロセスや準備も体験を通して学べます。
今回「愛するということ」は消化できたのですが、
ほかにも、じっくり学びたいと思っている書籍があります。
特にこの3冊は、Wen-Do Japanが大切にしているCLD(Control my life and destiny.)に深く関わり、
内容的にも、ひとりで読んでワークをして完了というものではないので、
どなたかと共有できる何らかの方法をとりながら、何度も深く読みたいな。
どなたか、いずれかの本にご関心ありませんか。