こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。
今日はエンパワーカフェをお休みして、「仕事関連の仕事の書類整理」をしています。
北海道北見市のCAPオホーツクさんにWen-Doで伺った際に、
手作りディナーでおもてなしをいただいたメニュー♡が出てきました。
何年前だったのだろう…。2006年か2007年頃???
…って書いてみて今更気づいたけど、
しょっぱなから、なんとハードルの高いことを!
思いつきでの行動ってリスク高いなー(笑)。でも気づいた今は、もう17:40…^^;;
《タオル棚の整理(=古い、捨てるべきタオルを見極めて廃棄する)》
とかから始めていれば、作業がしやすく、達成感もあって良かっただろうに。
そんなわけで、全然楽しくなくて、なかなかはかどらないのですが、
ひとつ、発見がありました。
デジタルな時代だけれど、
アナログな状態で情報を残し、数年に一度こうした作業をするのは、
自分の歩む方向性の確認や点検に役立って、エンパワーの源になりますね。
今でも手元にある、私が捨てられずにいた書類は、
10年とか15年を経過した今見ても、
やはり捨てられない!と感じる素晴らしいレベルのものばかりです。
ひとつひとつ確認しないと捨てる・捨てないを決めがたく、
捨てるものがそもそもあまりないので、やってても無意味なのでは…と思えてきて、
(私、こういう取捨選択作業を、数年に一度繰り返しているよなあ…。)
(同じことの繰り返しって、なんか、成長がまるでない…。)
と、自分が情けなくなってくるのだけれど、
それでも、データ的に使いものにならないものは捨てるうちに、
(いやいや。手元にある資料は『選ばれし資料』だからこそ、
粒ぞろいになってる、ってことか…?!)
と思えてきました。
私が選んで残してきたもの「だけ」が、ここにある。
そうした眼差しで、手元にあるものを再度見ると、
それを残した当時に、自分が何を求めていたのかが思い出せる。
過去の自分の思いに対して、現状の自分がちゃんと応えているかどうかも考えられる。
これからどうしていきたいかも、改めてくっきりしてきます。
もしも、デジタルな容量無制限な場に
なんでもポンポン放り込んで保存できたら、
今日のような作業はしていないかもしれず、
今日のような、振り返りと確認の機会を、私は得られなかったかも。
今日やったことは、そうした機会になったというだけでも、意味はあるのかもしれないぞ!
見た目まったく代わり映えしていませんが…。
私が手がけた講演や研修、講習の資料も色々と出てきました。
「ああ、こんな事柄を話したことも、あったなあ、そういえば」
「こういう説明のしかたをしたんだな☆」など、我ながら、ほう〜!って感じです(笑)。
たとえば、
【思考と感情を区別する、簡単な方法】とか。
それ、私も知りたいよ!!!と思って読んだら、
あ、それね。そういうの、やったなあ〜!みたいな感じでした。
ちなみに、【思考と感情を区別する、簡単な方法】とは。
「アイメッセージとか言われても、それじゃよくわからない…」
「考えよりも気持ちをそのまま表現しましょうとか言われても、区別はむずかしい」
という方に、他の見分け方として、『あなたは変われる』(朝日新聞社)を参考に紹介したものでした。
・《〜と思う》《〜と考える》を文末にしても変じゃないなら
その文で表現していることは思考(に近い)。
・《〜と思う》《〜と考える》を文末にすると違和感が生じるなら、
その文で表現していることは感情(に近い)。
例)
●あなたは私を見捨てたのね(思考)
●あなたのしたことは不公平だ(思考)
再度これらの資料をしまい込む前に、
今日みたいにブログやメルマガに書こうかな。
がんばります♪