こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。
《しあわせだと思える人生》の実現に役立つよう、
ゆったりと感じ、考え、語らい、
自分にとって大切なものに光をあてるスペースです。
昨日のテーマは
【完璧主義を手放し、心をひらく】。
はたからどのように見えるのかは置いといて(笑)、
「私って完璧主義で…」と自分を捉える人って、結構多いと思います。
私もです。うん、はたからどのように見えるのかは置いといて。
私がこのワークにはじめて取り組んだのは数年前です。
その時、パラダイムシフトと言えるような、貴重で大きな気づきがありました。
それが何だったのかを先に言ってしまうと、
自分の能力を自分の得意分野でいかそうとすると、
私は完璧主義者におちいり、
それが、自分を追い詰めることになっていた!
ワークに、こんな設問があるのです。
「あなたが「完璧主義者」 /「最善主義者」になりやすいのはどんなときですか?」
ここで出てくる「最善主義者」とは、「完璧主義者」と対のありようです。
・そこそこでOK
・失敗もあっても当たり前でその後リカバーすればいい
・70点以上は全員合格か…。なら、とりあえず70点を目指そう♪
みたいな、
ゆる〜いかんじ。
この設問にはじめて取組んだとき、
「そういえばそうだなあ。
常に何に関しても完璧主義者なわけではなくて、
完璧主義を目指したくなる領域のことと、そうはならないことってあるなあ…」
と、思えて、
その続きの設問ワークにも取り組んだところ、
自分の能力を自分の得意分野でいかそうとすると、
私は完璧主義者におちいり、
それが、自分を追い詰めることになっていた
と、見えました。
あのときの衝撃といったら…並大抵のものではなかったです。
完璧主義者になりやすい領域は、
私にとって重要な意味を持つと思える事柄で、
「私は、これに関しては、努力すればもっと高いレベルに行けるはず!」と
思える領域。
つまり、自分の得意なことや、重要だと感じる領域に偏っていました。
そして、それを後押ししていた私の能力というのは…たとえば…。
・筆マメである(人にメールや手紙などをすぐに書きたくなる)。
・細かな点まで物事を検証するのが好き。
・言語化や文章化する作業が好き。
・ひとりで作業をすることが苦にならない。
・計画を立てて遂行するというプロセスを歩むことに喜びを感じる。
・インドアでも退屈しない(1日中で家の中でも平気)。
・座っての作業が苦にならない(体を動かすことへの欲求がさほど高くない)。
・人と会話をしない日があってもそこそこ大丈夫。
(人との接触やコミュニケーションがなくてもそこそこ自分を保てる)。
などなど…です。
能力というか、特徴・特性というのかな。
それらが、私の得意分野や私が重要だと思う分野に関して、
余すところなく発揮されてしまうからこそ、
私は完璧主義者に陥り、やることが際限なく増えて、自分で自分を追い詰めていました。
* * *
得意分野を持っているのは良いことに違いありません。
何かが「できる」能力や特性が、悪いものであるはずもありません。
肝心なのは、その掛け合わせかた。
どのような結果を出すために、どのようにつなげたらいいのか、の部分でした。
思考って、意識的に行うことが大切で、
自動思考に任せてなんとなく考えた気になり、結論を出してしまうと、
ときにはとんでもない結果を招くのだなとわかったワークでした。
* * *
他人からの暴力による被害・ダメージをできるだけ減らすための
Wen-Doの身体実技は、私にとってものすごくものすごく魅力的でありつつも、
それを身につけた私の関心が、
「もっと格闘技や武道やマーシャルアーツを極めたい!」という方向には行かずに、
メンタルな方に向かう、その奥には、
日常レベルでは、私は他者によって傷つけられていると感じる機会はさほどなく
(それは、ものすごく、ものすごくしあわせなことだと思います)、
それよりも、自分で自分を結果として苦しめている習性、価値観、思考のクセは
24時間私に影響を及ぼし続けているにもかかわらず、
そこには無自覚なことが多いから、
自分で自分を苦しめてしまう癖を手放したいとの
のぞみがあります。
私の得意なことも、私の能力も、
私を苦しめるためにあるわけではないはず!
重要なのはその掛け合わせかたなのだ。
そう気づけた意味は、大きかったです。
…というようなことを
感じたり考えたり、ときには発見できる面白さに満ちている場が『ゆらっく』です。
今後の予定はこちらにてどうぞ。