私も最近、自分自身について
(『私は××はできない/〜は向いていない/**が苦手な、そういう性格なのだ』と思いたい時期みたい、私って…)と感じていて、
その人のそのセリフが頭の中をリフレイン中。
他者の力に圧倒されて弱った時に、ついそう言いたくなるのかな?
そういう風に話すとき、その人は
『言えなかったのは仕方のないことだ』と自分でも思いたいのかもしれないし、
他者からもそう認めて欲しいのかもしれないな…と思うから、
聴き手の時、口では私も「そうかあ」に止めることにしているのだけれど、
心の中ではいろんな考えがぐるぐるします。
自分で自分のことを《〜ができない性格》と決め付けたくなる時にもぐるぐるします。
本当に『できない』のかな?
『言いたくなかった=言わないことを自ら選択した』という可能性はないかな?
言わないことで得たかったものが何かあったのではないかな?
それは、言うと、本当に損なわれてしまうものなのかな?
本当に『性格』なのかな?
単に『どんな言い方がありうるか、サンプルを知らなかった』だけではないのかな?
言い方のバリエーションを知っていたら、言えていた可能性はないのかな?
言ってみる練習や経験を経ていたら、言えていた可能性は…?
『性格』とはそもそもどんな定義?という話にもなりそう…。
などなど。
その話のその人のエピソードは、
自分の主治医(個人開業医)に検査データを欲しいと申し出たら、
医師から威圧的に「何に使うつもりなんだ?」と問われ、
実はセカンドオピニオンを得るために別の医院に持って行きたいと考えていたその方は
咄嗟に何も言えなくなってしまい、
黙っていたら「開業して以来、そんなことを言った患者ははじめてだ」と重ねられ、
結局検査データはもらえなかった、と。
どう考えても理不尽なひどい話です。
ご本人のデータをもらえないなんておかしい。
その人も、
『無料でやってくれる市の健診だってデータは全部くれるのに、
病院で費用はこちら負担で、なのにデータをくれないって、ひどいわよね』
とはおっしゃるのです。
私に思わず話すくらいだからよほど悔しかったのだろうな。
それでも最後は
「私は言えない性格なのよね」とおさめようとしてしまうのか…。
色々考えさせられました。
〜〜〜〜〜〜〜
そんな、とっさにうまく言い返せなかったり・つい言いすぎたり、の解消の手立てに、
11/12(土)午前 シェアマインド金沢で、『バウンダリー』の学習カフェをします。
言えなかった過去も、言いすぎた過去も、
そこに戻ってやり直すことはできないけれど、
「ああ、そんな言い方があったのだな」と見つけられると
この先に同じことがあった時の希望につながります✨
お気軽にお越しください♪
・H28/11/12(土)10:00〜11:30頃
・シェアマインド金沢での『Salon ゆらっく』の企画にて
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