こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。
先日、耳鼻科で双子ちゃんらしき子たちを見かけました(^-^)
受診しているのはおかあさん。
待合室で、祖母(おかあさんのお母さん)らしき女性が両手抱っこで双子ちゃんを見ていました。
双子ちゃんですか(^-^)?
と声をかけたら、ちょっと嬉しそうに「そうなんです(^-^)」。
うちもです。
付き添ってくれる人がいないと、
おかあさんが病気でも、病院にすら行けないですよね。
私もすごく大変だったので、思わずお声がけしちゃいました。
そしたら、
「そうなんです。
いい歳の娘に対して過保護かなって……恥ずかしいんですけど」。
返答の第一声がそれでした。
こういう風に思わざるをえない風潮が子育てを苦しくする一因でもあるんだよね(>_<、)
双子がいたら、病院どころか家の中のトイレすら行けないです。
そもそも、誰かが困難なときに助け合うのって
全然、責められるようなことじゃないのに。
そんな風に、今だからこそ私も思うけど、
あの、おかあさんのお母さんのちょっと申し訳なさそうな感じには、覚えがあります。
私も育児中に、自分に過保護ではいけないと思っていました。
「大人の私が、子どもを育てるのは当たり前」
「大人は、子どもを育てることができて当たり前」と思っていたので、
大人は、弱音は外には見せません。
大人は、人にむやみに甘えません。
大人は、人に頼み事をするときには、ちゃんとした頼み方をします。
大人は、自分のことは自分で出来るものです。
大人は、困ったときに、自分で問題を解決できます。
大人は、自分の感情や行動の管理ができるものです。
大人は、多少睡眠不足だったり体調不良だったりしても、仕事はきっちりするものです。
大人は、自分の責任を自覚しています。
全てがそんな感じ…。
ある意味子どもだったような気がしてきました。
こうしてみると、大人という存在や自分に対して幻想を抱きすぎ…。
無邪気な傲慢さって悲劇だなー…^^;;
私に恵まれた双子はもうすぐ成人で、双『子』という語感が合わなくなってきているけど、
そんなにも年月が過ぎても、双子育児のあれこれを思い出すと、
そして町中で双子ちゃんファミリーを見かけると、
今も胸がちくんとします。
ちゃんとしていたいのに理想通りにできない…というときのちくんを想起しての痛みでもあり、
私が、いつまでたっても不完全な大人にしかなれないことを受け入れるしかない痛みでもあり。
そのちくんの元を、どうこうできる日が来るのかどうかはわからないけど、
声をかけたりかけられたりすることで、
そのちくんがホッとして癒されるのは(私の実感としては)確かなので、
小さいお子さま連れのかたや双子ちゃんを見たらまた声だけでもかけよう。と思いました。