こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。
もうひとつ質問をいただきました。
かいつまむと、以下のような主旨になります。
「(何か変だな、おかしいな、あやしいな、
怖いな、いやだな…などの感覚が生じてきている状況で)
相手のほうがたいてい言葉が巧みで、脅しを交えてくることもあるでしょうし、
こちらが上手く切り返す術を持っていない、ってことって、ありますよね。
この一言さえ言えれば、
あるいは、
この動作さえできれば…!というような方法をひとつあげるとしたら、何になりますか?」
そんなズバリな質問!
されたのははじめてです。
ああ、でも、それってすごく重要!!
Wen-Doは、子どもからおばあちゃんまで、誰でもできる簡便さと、
熟練を問わない身近さが特徴のプログラムだもの。
聞いてくれてありがとう。
* * * * *
この場合の『正しい』答えは
「万能な方法はありません」になるのだろうなと、心の中では思いました。
状況、相手、環境、自分の状態…の組み合わせはものすごい数で存在するし、
だからこそ、どんな熟練者でも絶えず修行したり稽古をしたりするのでしょう。
私は怠惰なのでしないけど(^^;;
けど、このときに問われたのは、そういうことではないでしょうし、
Wen-Doの理念で行くと、別の答え方をしたい。
熟練したスキルを持っていない私だとわかっていて、
努力をしようにも限界がある私だとわかっていて、
『その程度の私』だということを自分で痛いほどわかっていても、
自分に自分でOKを出すための、何か。
それは何で、どうしたら持てるようになるのだろう。
うん。それ、大事だよね、持ちたいよね!
今質問に答えて言葉にするから、ちょっとだけお時間くださいね。
内心でそんな心境になりながら、
とても大切で深いご質問をありがとうございます。
よくわかります。
ええと…、ちょっとお時間くださいね、
…今、どう言葉にしようかな、ってなってます(^-^)…。
と答えはじめて、ああ、これか、と思いました。
えっと。
ひとつだけ必要な言葉や動作を私があげるとしたら、
私が今やっている、これかな。
「ちょっと待って」という一言。
言葉が出なくて動作で表現したい人には、
手をこんな風にちょっと出して《待って》が伝わる動作。
そして、
「ちょっと待って」の後に生じる時間を自分のために使えるようになるといいですよね。
沈黙や間を気まずく思わずに、自分に使えると。
相手がいる場合は、
「ちょっと待って」に応じてくれる相手ばかりとは限らないけれど、
逆に、応じてくれる相手がそこにいれば、
私たちは沈黙を安心して自分のために使えるようになっていくので、
まずは勇気を出して、ちょっと待ってと、やってみるといいかなと思います。
日常の、いろんな場面で。
私も、今みたいに、いろんなご質問や場面に遭遇しながら
「ええと、ちょっと待って…」を何度も繰り返してきたことで、
沈黙と共にいることを覚えたり、考える機会を得たり、
自分なりの答えにスッとたどり着けるようになったりしてきました。
そこには時間はそれなりにかかると思うけれど、
まずは「ちょっと待って」が言えるといいのかなと思います。
* * * * *
名古屋講座ではとりあえず上記のようなことを答えました。
そのあとも、ずっと、このご質問について考えています。
あれで良かったのだろうかという迷いがあるわけではないのだけど、
答えはひとつだけではなく、
もっと多面的で、可能性がありそうな予感がする(^-^)
熟練したスキルを持っていない私だとわかっていて、
努力をしようにも限界がある私だとわかっていて、
『その程度の私』だということを自分で痛いほどわかっていても、
自分に自分でOKを出すための、何か。
それは何で、どうしたら持てるようになるのだろう。
これからも、その問いと一緒に居たいと思います。
名古屋講座に参加して、場を深めてくださった全女性に、ありがとうございます。
皆様がお健やかに楽しい毎日を過ごせますように。