<   2015年 01月 ( 5 )   > この月の画像一覧


2015年 01月 29日

自己責任論で考えた『責任の所在』についての理解

こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。


ニュースが気になり、祈るような気持ちの毎日。

日本人が拘束されてから連日の報道。
インターネット上に出てくる意見の数々。
それらの情報や意見の中には、学べることもたくさんあるけれど、
「え?!」と感じてしまうものも多いです。


報道が始まる前に、講演の仕事の準備をしていました。
講演は、Wen-Doのワークショップに比べるといただくご依頼数が少ないので、
私はまだまだ不慣れな点もあり、時間をかけて準備をします。


何をどのように組み立てて時間内に納めようかを考え、
これでだいたい出来たかな…と思えていたところに、
日本人拘束のニュースが飛び込んできました。


で、最初の「え?!」です。

『自己責任だろ?』という声の多さに驚いてしまった。


今年、新年早々に、『バックカントリースノボ』で3人が遭難し、
3人とも無事に救出された後で記者会見をするという出来事がありました。
この3人のときにも、『自己責任』の声は高かった。
そして、救助隊の人が、救助時に思わず怒鳴りつけて叱ってしまったという音声も
何度か報道に乗りました。


そのときは、
「ああ、とにかく助かって、助けることができて、良かったよ…。
 多少叱られたり責められたりもするだろうけど、
 それだって、命あっての物種だものなぁ…」と思いながら見ていました。



雪山に、あえてコースを外れて乗り込んでいって、遭難してしまったという人が
「自己責任でしょう。もしも助からなくても仕方がないよ」と思われてしまっても、
《そのように思われてしまう》部分についてはまさに、仕方がないかなと思うけれど、


それと、武装勢力に拘束されて人質とされるというのとは、
あまりにも違うと思う。


責任の所在が、ぜんぜん違う。


雪山の件では、大自然にたいして責任を問うことができない以上、
責任は、問うとしたら人間側に問うしかない。
ましてや、必要とされる届け出をせずにコース外に出てしまったのはその3人のルール違反だし、
ルール違反行為が救助活動をより遅らせたり難航させたりした可能性も考慮すれば、
ルール違反行為という3人の落ち度は、直接3人の身の危険につながったと言えないこともないです。


それと比較してみれば明らかに、武装勢力に拘束されるケースは違う。
《要求を通すために人道に反する手段に訴えた》時点で、
行為の責任を問われるべきなのは武装勢力集団。
(総理大臣のふるまいや政策に責任を問おうとしていた人たちもいたけれど、
 それも私は違うと思った)


責任の所在が雪山での遭難のときとは明らかに異なる今回の拘束事件において、
人質のかたがたに「自己責任」と言い放ってしまえる人が日本にこんなにも大勢いる…という事実に

「えっ?!」でした。


事件がなかなか展開せず、連日報道が続き、武装勢力からの2度目・3度目の声明が出てくると、
今度は、【Gさんは潔く自害するべきだ】の声も。


それが2度目の「えっ?!」でした。


いや違うな、「えっ?!」じゃなくて、「はい??」だったな。

「えっ?!」が=「えっ?! そ、そうなんだ〜…」だとすると、
「はい??」は=「はい?? 今なんて言いました?」と思わず問い返したくなる感じ。


そうか。
「えっ?! そ、そうなんだ〜…」では済まないし、済ませていちゃダメだったんだ…。


これは本当に、なんとかしないといけないのではないだろうか。


私のできることなんて、
地球上規模で言えばゾウリムシの額ほどしかないのだとしても(←はい?? ゾウリムシに額??)
「えっ?! そ、そうなんだ〜…」じゃいけない。


それで、講演の内容や構成を白紙から考え直す作業に入りました。


責任の所在をあいまいにする人は、暴力的な言動をする。
責任の所在について混乱させられた人は、自分を護ることが困難になり、
たとえ意図していなかったとしても、結果として加害行為に加担することになる。


責任の所在がどこにあるのかが自分でわかるようになることが護身の基礎だと、
今回、考え直しの作業を通して、私自身も整理しました。


そこ(責任の所在)がわからないと、
自分が自分の責任において出来る範囲のことが
・どこからどこまで で、
・何ならOKなのか
が、明確にならないです。


そして、そこ(自分が自分の責任において出来る範囲のことがどこからどこまでで、何ならOKなのか)が
わからないままで護身のハウツーをいくら身につけても、
それを意識的に『自分を護り、暴力を回避するため』に、自分のものとして使えるようにはなりません。


最悪の場合、私たちが伝えることが、学んだ人に暴力に悪用されることもあり、
そこまで行かないとしても、
『単に過剰防衛なイタい人』を生み出すことに加担しちゃうかもしれない危うさは
日頃痛感しています…(^^;;


やっぱり、一人でも多くの人としっかり共有するためにも、
私自身が、ちゃんと語れるようにならなきゃいけないな。


自己責任などという妙な抑圧に打ち負かされることなく、堂々と自分を護れる人は、
(絶対に加害行為をしないとは言い切れないけど)
少なくとも、無意識での加害行為はしないでしょう。
それは、いわゆる『悪気のない暴力的言動』を社会から減らすことになる!


日常のあちこちに多発する『悪気のない暴力的言動(無意識での加害行為)』がなくなっていくだけで、
どんなに皆が生きやすくなるだろう(*^^*)



…ただ、


クソコラグランプリ? っていうの??!
あれも「えっっっ?!」となったのだけれど、
あれはちょっと…いまだ理解不能です。
心理学用語で言われるところの傍観者ともまた違うような…。


あまりにもあまりにも、あまりにもびっくりして、我が家のJKとDKに尋ねたけれども、
彼らは無言でした…(^^;;
(うかつに私に何かを言うと、やぶへびで怒られかねない…と無言を貫いたのかも 笑)




……………………………………………………………………………………………………
Wen-Do Japanの公式サイトはこちら
 講座予定、ご依頼についてなど


2015年、名古屋でWen-Do講師トレーニングを計画中
……………………………………………………………………………………………………

[PR]

by selfdefence | 2015-01-29 15:11 | つれづれ
2015年 01月 20日

受動的攻撃(PA):「やっちゃってるのは私だ!」の気づきは回復プロセスに不可欠

こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。

金沢市で開催の「私らしさを取り戻す 傷つきからの回復ワーク」も終盤です。


前回、受動的攻撃(PA)を扱う回を終えました。
*以前に受動的攻撃について書いたものはこちらです


ここは、『私は被害者?』と感じていた女性でも多くの人が『あ、これ、私がやっちゃってることだよ…』と感じやすい回です。


受動的攻撃という、罪悪感を揺さぶられ、攻撃とはとらえにくい形の暴力があるということを学ぶだけでも十分有益なところに、

『あ、これ、私がやっちゃってることだよ…』と思えるのって、超重要!
回復のためのプロセスとしては欠かせない気がします。


自分を暴力や不当な攻撃から守るためには、


「私が我慢すればなんとかなる。私はまだ大丈夫」
「私が悪いのかも。間違っているのは私かも。私は自分を修正しなくてはいけない」というところから一歩踏み出て、


「私は攻撃されていて、その被害にあっている側だったのね!!」
「私は悪くなかった!!! 悪いのは加害者だったんだ!!」と、
自分を被害者の位置に置くことを自分で許容する段階が必要です。


必要で、重要なことだけれども、そこはあくまでもスタート地点。
そこにずっと止まっていると、『回復者=力を発揮できる人』というゴールにたどり着くことができません。


「私は被害者だったのだ!」というスタート地点から歩きはじめはするのだけれど、
そのスタート地点から進み、距離が取れてきたら、


「そうか。私はいつでも、被害者を辞めることが出来るのだ!」と、
自分を被害者の位置から連れ出していく、そのために行動するという段階もまた必要です


被害者は私だと思っているときって、相手(加害行為を自分に対して働いた人)に対して、
憎しみ・恨み・恐怖などの気持ちがあって、


その気持ちは(もちろん、私にとってはとても大事な気持ちなのだけれど)
「私は正しい。相手が間違っている」
「私は安らかでいたいのに、相手がそれを乱す」などの認識や思考にもつながりやすくなってしまうように思います。


暴力や困難は、逃げて離れればそれで終了する類のこともあれば、そうでないこともあります。
形は違うけれど同じテーマが何度も自分に降りかかってくるかのように感じる…っていうことって
なんとなく、誰でも多かれすくなかれ、覚えがあるかなと思うのです。


形は違うけれど同じテーマ(での困難や課題)が繰り返し自分に訪れるとしたら、
そのことについては、『逃げる』だけではなくそれと向き合うしかないし、
向き合ったら、『交渉(やりとり)』が必要です。


「私は正しい。相手が間違っている」
「私は安らかでいたいのに、相手がそれを乱す」
という気持ちがあるときには、対等な交渉は成立しません。
暴力的抑圧的になるか、PA的になるか。どちらにしろ攻撃的なものになってしまいます。


恨みや憎しみという感情や、自分の正当性にしがみつきたい気持ちみたいなものを
手放したり、一旦は完全に脇に置いたりする作業が要ります。


ましてや、自分に有利になるように余裕を持って交渉に臨みたいとしたら、
《私には、その気になれば、人を攻略しうる力がある》という自覚や誇りは不可欠です。
(もちろん、良い意味での)


『私、自分を被害者だとばかり思ってきたけど、実は人を攻撃しちゃってた!!!』という自覚は、
あまり気持ちのよいものではないけれど、

自分にも加害者性や力があるのだということに気づくことのできる、
素晴らしいチャンスでもあります。


そうまでしてでも、自分は自分の尊厳を護ろうと必死になっていたのね、と受け止めて、
そのための力を
今後はむやみやたらに振り回すのではなく自覚的に扱うことだって出来る!と思えるようになれば、


私はいつでも、自ら、被害者を辞めることが出来る。
そればかりではなく、
実は私には力があるのだ。


そんな、美しくて強い自分へのまなざしも手中に出来る。


『PA、これ、私、思いっきりやっちゃってます…』と話してくださっていたかたは、
もしかしたら今はまだ
その重みをズシーンと感じてしまっているかもしれないけれど、


「私は被害にあっていたんだ!!」がスタート地点だったとしたら、
「私、被害者どころか、やっちゃってます…」はターニングポイントなのでしょう。


そのコーナーを曲がって、もう少し、頑張って歩き続けると、
きっとゴールのあかりが見えてくる。そう思います(^-^)


コーナーのあたりってキツイんだよね(笑)。
ひとりだと…くじけちゃうかもしれない。

よかったら、さらに先まで皆で一緒に進みましょう。励まし合い、支え合い、共に学び合いながら。


明日は第9回。
皆様とまたご一緒できることを願っています。



………………………………………………………………………………………

. .。.:*・゜☆ ほんとうの声を、伝わるように . .。.:*・゜☆

世界が変わる わたしのお守りWen-Do Japan
:公式サイト www.wendo-japan.com

講座予定 http://bit.ly/wendo2016

パーソナル・セッション http://wendosd.exblog.jp/23275358/
………………………………………………………………………………………

[PR]

by selfdefence | 2015-01-20 14:55 | 女性支援
2015年 01月 19日

良かれと思って、が、抑圧に転じるとき

Wen-Do Japanの福多唯です。こんにちは。


週末のセンター試験が終わりましたね。
きっと日本全国で、引きこもごもがあったのだろうな。
アクシデントがあった人もいらしたでしょうし、
風邪をひいていた人、お腹がいたかった人、怪我をしたばかりの人…などもいたことでしょう。


私の子どもたち(双子なので 達 です)も高校3年生。
センター前は、学校での、時間割上の体育の時間は、
《3年生は体育は受けても受けなくてもどちらでも良い》となるのだそうです(もちろん学校によると思うけど)。
理由は簡単で、怪我をしたら大変だから。


先週の月曜日(センター試験を5日後に控えての月曜日)の我が子は
「今日、体育の参加者が11人しかいなくって…」と帰宅しました。
バレーでは2チーム作れず、試合にもならない数です。
それでどうしたと言っていたかは忘れちゃったけど、何か工夫したらしい。

ふむ。そうか。
私の子は体育参加派なのね。(と思いながら)


   それにしても11人かぁ。そんなに少なくなっちゃうんだ?


「うん。親から体育はダメ、って言われる子もいるよ」


そうかあ。


2日後の水曜日の体育は8人だったかな?になり、
センター前日の金曜日の体育は、4人だったか5人だったか。
「人数少ないけど、(体育を)やりたい子だけが来てるから、めっちゃ楽しかった(^-^)」と話していました。


決して体育が得意でも好きでもない我が子。
それでも体育の授業に子どもがセンター前日まで出つづけた、というのは、
聞くとなんだか納得で、
よしよし♪ いいぞいいぞ♪ と思いました(笑)。


体育の出席が任意で良かったです。


もし、学校側から
「センター試験直前の3年生が体育の授業だなんてとんでもない!
 何かあったら大変だ。
 体育の時間は全員自習。体育はナシです」とされていたら、


体育は、したくても出来なくなってしまう。
そのことに異議を唱えようとするだけで、おそらくとても難しいことになってしまう。


それに、
体育をしたくない生徒、させたくない親のほうが圧倒的に多数派だというのが現実だから、
そこで、学校の方針で体育がなくなってしまっていたら、

この時期に体育をしたいと考える方がおかしいのか?と
我が子も、自分の感覚に自信が持ちきれなくなってしまっていたかもしれない。


さらに、もしかしたら、

『センター試験直前の3年生が体育の授業だなんてとんでもない!』という、他者のものだった感覚を、
「この人は私のために言ってくれている」
 →「私を思って助言をしてくれるこの人のことは信じよう」
  →「だから私もそのように思うことにしよう」とそのまま取り込んで、
異議を唱えたい気持ちすら自分の内側から抹殺し、
子ども自身がそう思い込むようになる可能性もあるわけで。


そう思い込むようになってしまったら、
今度は我が子が、
体育を続ける学校や続けたがる人達に対して
「なにそれ?!」「普通はやらないでしょ」「それおかしいよ」「常識的には…」との
斜めな視線を向けるようになる可能性だって、あるよなー…。


…と、子どもが話してくれた体育の件で、
妄想(?)が今回も広がってしまった。


『良かれと思っての助言や指導』や常識は
こうしてするすると抑圧へと転じていくのね。


自分がしたいこと(体育をする ということ)を選ぶ自由を手放すことなく、
センターの前日も体育の時間を堪能し、
生物でも揚げ物でも気にせずに好きなものを食べて、センター試験に臨んだ我が子は、
試験の結果には暗い顔をちょっぴり見せたけれど、


将来のために今したいことを控えるだなんてもったいないことをせずに、
普段通りの暮らしをして試験に臨んだことを
…たとえ思い出すことが一度もなくてもいいけど…
ずっと、どこかで、忘れないでいてほしい。


子どもにこうも純朴さとか真っ直ぐさを期待してしまう
私のその抑圧の芽をまずは摘めよ!という感じですが(笑)


……………………………………………………………………………………………………
Wen-Do Japanの公式サイトはこちら
 講座予定、ご依頼についてなど


2015年、名古屋でWen-Do講師トレーニングを実施します
……………………………………………………………………………………………………

[PR]

by selfdefence | 2015-01-19 20:48 | つれづれ
2015年 01月 08日

There's no perfect love.

こんにちは。

年末に金沢市にある女性センターで本とDVDを借りました♪
女性センターの小さな図書館は、本を探しやすく、貸出期間も3週間で、
DVDも借りられて、
さほど読書家でない私にとってはちょうど良い規模と貸出作品揃えです。

そこで借りてきた
ダコタ・ファニングさんとクィーン・ラティファさんの出ている映画
『リリィ はちみつ色の秘密』。


見始めて40分くらいしたところで、


あれ? これ…、 以前にも見た? ような…? …ということを思い出してきたのだけど ^^;


ストーリーは思い出せないままなので、そのまま見る ^^;



初見でないにもかかわらず、超感動でウルウルでした。
お得な気分なのはなぜだろう(笑)


   *   *   *


暴力や虐待の防止に関することをしていると、
「束縛は愛ではありません」とか、
「愛とは互いを尊重すること」みたいな言葉に触れる機会が多いです。
(実際には、語る人がそれぞれに想いを入れたり工夫なさったり考えたりなさるので、
 もっと繊細な言葉遣いにはなるのだけれども)


機会が多くなればなるほど、『真実の愛とは?』と考える機会も多くなります。
また、
『彼のあの行為、あれって暴力じゃん!!』と感じることが増えてきたりして
悲しくなったりモヤモヤするようになったりもします。
自分を以前より嫌いになってしまう、そんな時期もあるかもしれません。


それはそれで大事なプロセスなんだろうなと思うときもあるのだけれど


トータルでは、
いちいちそうやって考えたり感じちゃったりして立ち止まる、
そんな自分が面倒くさい人間に思えてきたりなんかして、


なんていうか、こう、うっすらと、
自分に対してもこの業界で当たり前とされている考え方にも
実際に身の回りにいる人々たちにも、
自分をとりまく世界の全てに対して、
釈然としない感じが薄く薄く積み重なっていく…みたいな現象が起こる。



そんなときに、何かとの出会いによって、《ああ! そうか!》と
気づきや気持ちの解放の機会を得ると、
薄く薄く積み重なったその感じがリセットされてスッキリー☆ 


そうしたサイクルを数年おきに、ぐるぐるしているようなところが私にはあります。


『リリィ はちみつ色の秘密』を今回(初見ではないのに)見て感動したのも、
きっと、サイクルにぴったり合っていたのだろうな。


  *  *  *  *

まずはセリフで、私に大きく響いたところが2箇所。


ひとつめは、主人公の少女リリィ(ダコタ・ファニング)が
はちみつ採取を、オーガスト(クィーン・ラティファ)から初めて教わる場面です。

オーガストは
「この世は大きな養蜂場だ」と例えながら教えます。
(以下正確なセリフではないけど、概ね間違ってはいないと思います)

怖がらないでいい、ハチはむやみには刺さないわ。
でも、用心のために、長袖に長ズボンを身につけて。
ハチを叩かないで。叩こうと思うのもやめて。
大事なのは、愛を送ること。
ハチも愛されたいのよ。


これは、Wen-Doをしながら、私が大事にしたいことそのものだ〜。


むやみに怖がらないでいい。
でも、必要な用心はする。
用心は何かや誰かを敵対視して行うわけではなく、
自分で自分を安心させてあげるために、自分へのケアと愛情から行うこと。
そうしながら、他所には愛を送る。

 〜〜〜〜

ふたつめのセリフは、
『完全な愛はないわ、リリィ(There's no perfect love, Lily.)』です。


聞いた瞬間に、ごめんなさい!!!、と謝りたい人の顔が浮かびました。

あの人はあの人で私を愛してくれていたのかもしれないなぁ…と、
わだかまっていた気持ちが抱えやすく変わりました。

『完全な愛はない』。
これこそ、なんと愛に満ちたことば!


……うん。私って手軽。知ってる(笑)


私がWen-Doを一生大切にしながら生きていく上で、
私が是非とも失わずに持ち続けていたいのは、

暴力とは何かとか、
愛とは何か、への明確な答えよりも、

完全な愛はない ということばのほうだ。そうだそうだ☆
そう思えました。



この作品では登場人物がひとりひとり、とっても丁寧に描かれています。
ひとりひとりを見ながら、
この人はこのようにして愛情や思いやりというものを示す人なのね…とか、
この人は愛情があふれていても、このようにしか表現できない人なのかもしれないな…とか、
この人だってこの人なりに愛しているんだけど、うまくいかないんだな…とか、
いろいろなことを思います。

主人公は、母親は私を本当に愛してくれていたの? をずっと気にかけながら育ちます。
果たしてその真実は…? というのが、ストーリーの中核でもあるのだけど、

単なるそういうお話ではないのが、『リリィ はちみつ色の秘密』の奥深さだと感じました。


暴力を振るう人も、振るわれる人も出てくるし、

『用心』しないと『ハチから刺されて痛い目にあう』という様子も描かれはするのだけど、

それでも、
「人っていいな」
「それでもこの世界は素晴らしい」と


そんな気持ちになれる作品でした(^-^)

e0024978_13123468.jpg
うわあ!今アマゾンで見たら安かった!
買っちゃおうかな…?♪  とりあえずセルフリンク。

↓この小さい写真をクリックするとアマゾンに飛びます



……………………………………………………………………………………………………
Wen-Do Japanの公式サイトはこちら
 講座予定、ご依頼についてなど


2015年、名古屋でWen-Do講師トレーニングを計画中
……………………………………………………………………………………………………


[PR]

by selfdefence | 2015-01-08 13:18 | つれづれ
2015年 01月 03日

第2期講師トレーニング:希望者さんはご連絡を♪

2015年になりました!
Wen-Do Japanの福多唯です。
昨年中も多くのかたにたくさん応援していただいて、本当にありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。


さて、昨年は多大な応援とご支援をいただいて、Wen-DoのT-Basic講座が3回も開催できました。
そのご支援を、今年は次につなげるのが私の使命♪

今年、2015年に、日本での第2期講師トレーニングを行います。

開催要項をWen-Do Japanのサイトにアップしました。



  *  *  *  *  *


Wen-Doはもともと少人数での講師トレーニングになります。
でも、少人数すぎてもトレーニングは成り立たず、
『最適な少人数』の規模で開催するのが特徴でもあり難しさでもあり…。


★トレーニングに申し込みができるのは以下の人です。

・トレーニング開始日時点で18歳以上の女性であり、費用の支払いについて自身で責任を負える人。

・トレーニング開始日までに、Wen-Doの短時間講座と
 T-Basic講座(または基礎講座など同等レベルの講座)の受講経験がある。
 *原則過去5年以内(2011年以降)の受講歴を有効とします。
  2010年以前の受講歴の扱いについてはお問い合わせください。
 *短時間講座の受講経験は2回以上必要です。
  申し込み段階で1回の受講経験しかないかたは、2015年中に2回目の受講を目指します。

・マスターインストラクター(福多唯)の講座の受講経験が2度以上ある。
 *T-Basic(または基礎)講座は当面は福多担当のみとなります。
  短時間講座は他の講師によるWen-Do受講経験でも大丈夫です
 (他講師の担当講座の場合は、Wen-Doプログラム単体として開催されたものが有効です)


★また、講師資格取得までに、Wen-Do講座の主催経験が2度以上必要です。
(主催経験はトレーニング申し込み前や2010年以前のものでも有効です)


Wen-Doの普及に夢と熱意を感じてくださるかたのご連絡をお待ちしています♪

あ、あと

『講師になりたいわけではないけど学びのために参加できるか?』
『講師になりたいわけではないけど、一緒に開催実現を手がけたい!』

などのかたも、ぜひご連絡ください♪♪

講師トレーニングへの申し込み要件を満たしているかたでしたら
見学(応援)参加は、来れる日・来れる時間帯毎で、適宜お受けします。
*見学(応援)参加をご検討のかたも、開催要項をご覧ください♪
e0024978_14140003.jpg



[PR]

by selfdefence | 2015-01-03 14:17 | 講師トレーニング