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2014年 01月 30日

「こころの傷と私らしさ」の学習会

こんにちは。
Wen-Doの福多唯です。

今日は「こころの傷と私らしさ」の学習会、2日目用の準備が佳境にはいっています。

いらっしゃるかたを確認してみたら、そうだった、2日目の2月2日は
初日だった1月26日よりも人数が減るのでした…。
お菓子を買い足ししちゃったよー(笑)

来週、2/5に始まる水曜コース(の、特に初日)も人数に余裕があります。

なんとなく気になっていたけど申し込みそびれた…という方、
2月2日(日)も2月5日(水)も大丈夫です。
気軽にメールしちゃってください♪
 info☆wendo-japan.com


内容はこんな感じです。

《こころの傷と私らしさ:1日目(2月5日)/午前》
●「安全感」と「暴力に関する学びの重要性」をおさえる
●暴力の構造を理解する
・虐待、DVなど、身近で親密な関係性での暴力とは
・マルトリートメントって何?
・親子や恋人、特定グループ間などでの特徴的なニーズと
 暴力/虐待構造との関係
・「暴力は支配」ってよく聞くけど、どういうこと?
・「暴力(虐待)の種類」の説明で理解したい重要点
・「愛情のつもりのことを支配や虐待って言われても…」な場合、
 愛情表現を愛情として伝えるために絶対欠かせないものは何か
・「こころの傷つき」に着目して学ぶことの効果
●親密な関係での暴力被害を予防するための3つの視点
●暴力の影響 その1(*その2は2日目です)
・喪失感とそのケアの必要性
・トラウマティックボンディングについて

《1日目
(2月5日)/午後》
*午後は体験型学習なので、
 やってみたり、書いたり、言語化したり…が多くなります。
 進行によって省くことも出てきます。
●境界について
・親しい人との境界/あまり親しくない人との境界
・境界を身体で感じてみる
・精神的な境界侵害について考える
●境界の状態を図で表現して見える化する
●境界を自分で保ちつつ人と交流する
 &自己主張の基礎練習
●私らしさを取り戻す文章2分割法
●私の境界をまもるための5つの方法
・「攻撃してくる相手に対して、整然と自己主張する」のが難しい理由
・すべきことを具体化して難易度を下げるには
・人物と行為、事柄と気持ち、反応とニーズを整理する
・自分に丁寧にやさしく関わる、とは
・5つの方法の具体的な練習にチャレンジ

《2日目(2月2日、2月19日)/午前》
●暴力とコミュニケーション
・境界侵害と「アンフェア」なコミュニケーション
・コミュニケーションスタイルから危険度を見立てる
●暴力の影響2
・トラウマって?
・トラウマとPTSDの関係
・大きすぎる圧倒的な出来事がトラウマとなる理由
・フラッシュバックと扁桃体の働き
・「他者からの攻撃」「心の傷」「生じる反応」の関係
・PTSDの処症状はどんな仕組みで引き起こされるのか
・フラッシュバックやPTSD症状への対処法
●私らしさを取り戻す
・傷つき体験から私らしさを取り戻すまでのプロセス
・トラウマ体験の先にあるもの:PTSDとPTG

《2日目
(2月2日、2月19日)/午後》
*午後は体験型学習会です。
*2日間の最終パートなので、臨機応変な変更多々あり。
 以下はあくまでも疑問や要望が何も出ないとき用の予定

●私とつながるための練習
・呼吸を通じてボディセンスとアクセスする
・自分をやさしく丁寧に観察してみる
・「認識する(考える)」と「感じ取る」を分ける練習
●言葉をふやす
・気持ち/感じを言い表すための言葉や表現をふやす
●自分の怒りの対処の練習
・「出来事」と「気持ち(どう感じられたか)」を話す
・「気持ち(感じられた感じ)」の奥に隠れる自分とつながる
・ニーズ(「私はただこれを必要としていただけだ」という何か)を探す
・「気持ち」と「ニーズ」をフラットに伝える練習
●他者の怒りへの対処の練習(*ここまで行けるといいけれど、時間的に難しい予感です)

写真は羊毛フェルト。ニードルでガシガシして作るアレです。
カエルをご所望のかたがいることを忘れないようにせねば。

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by selfdefence | 2014-01-30 17:07 | 女性支援
2014年 01月 29日

マインドフルネスってなに?

こんにちは。
Wen-Doインストラクターの福多唯です。

ここのところ耳にする機会が増えてきた「マインドフルネス」という言葉。
昨年末には日本で学会も発足されて急速に広まっていますよね。

心理系やボディワークをする人は既になじみがあるかもしれません。
一方では、「実はいまひとつわからないんだよね…。今さら聞けない雰囲気だけど…」
というかたもいらっしゃるかも。

先日マインドフルネスについてよくまとめてある記事を見つけました♪
(もしかしたら、
 詳しく知っている人にとってはひっかかる記述も散見されるのかもしれないのですが、
 私は翻訳していただけたことに感激したので紹介したい!と思いました)
こちらです。(ライフハッカー 日本版の記事です)


Wen-Doにも、マインドフルネスはとても有効です。
その瞬間への意識の集中力を高め、力を発揮しやすい状態をもたらしてくれます。
そして、特別な方法というわけではなく、「ああ、そういうことなら、時々やってる」と思うかたや、「無意識にやってたときってあったような気がする」というかたは大勢いらっしゃるであろう…というのもマインドフルネスの良さだなぁって思います(*^^*)


練習方法なども上記URLに掲載されていたので、ご興味があればぜひ。


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Wen-Do Japanの公式サイト できたてホヤホヤです。
Wen-Doって?にお応えします。

「心の傷と私らしさ」の学習会@金沢市
・2014年2月5日と19日に開催です
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by selfdefence | 2014-01-29 18:24 | つれづれ
2014年 01月 27日

あり得ない幸福

こんにちは。
女性のためのセルフディフェンスWen-Doの福多唯です。


今朝、最近では珍しく喘息発作で辛かったので、
朝食を家族と取ったあと、リビングでそのまま倒れるように2度寝しました。

眠りながら時刻を気にしている私。
夕方まで用事はないけど、2〜3日以内でやらなきゃいけないことはいくつかある。
でも身体が言うことをきかない…起き上がるのは無理…など
色んな思いが頭の中を走る中で、泥のような身体を横たえているみたいな感じ。


そうやって小一時間?もっと?寝ていたら、
子ども1号(高校生)が、「マミー、行ってくるね」。


え? 今から??と思う私。
完璧遅刻やん。


けれど、遅刻で怒られるかもしれない状況なのに、
私に朗らかに声をかけるあたりが可愛いよな…(^^)

辛くて起き上がれず目も開けられない中で、
手だけやっと1号のほうに持ち上げて『気をつけてね』と1号に応じると、
1号が私の手(というか指のあたり)を優しく握り返して2〜3回フンフンと軽くゆすって応じてくれた。

そして出かけていく。玄関のドアが閉まる音。


若くて、張りとしっとり感があって(笑)、
暖かくて優しかった1号の手。
その感触の心地良さを手に抱きながらさらに眠り続けました。


かなり長く眠った気がして、そろそろ午後になっているのでは…と思いながら、
それでも身体はダメで、起きられずにいると、
子ども2号(高校生。1号と双子なのです)がパジャマのままでリビングに入ってきました。


どえ〜? なんでいるの?(笑)
どうしたのかな、何が理由で休んだんだろう?と思う私。
でも私の全身はまだどんよりしていて、話すことができません。


その私に2号が
「マミー、大丈夫? ちゃんと寝室で寝ればいいのに。
 ねえ、ところで、2号は今からお昼食べるけど、マミーは?
 食べたい? 食べられる?」と言う。


うちの子は帰国子女でもなんでもないのですが、私をマミーと呼びますw


お昼ねぇ…。お腹は空いているのかしら(と自分のお腹をたしかめてみる)。
あまり空いていないような。
それより2号がなぜパジャマで登場したのかが気になる(笑)
体調が悪いわけではなさそうだけども。


言葉を出す気力がない中でそんなことを考えて、
ああ、でも話せそうにない…と思っていると

「休みたいときは休むのが1番やよねー♪
 今日、学校イヤやったし、朝から今まで寝ててんけど、
 あー、スッキリしたー☆」。
「マミー、今日、最高の天気やよ。春みたい♪
 こんなにいい天気の日に寝て過ごすって、これ以上ない幸せやよね〜」と2号。


天気のいい日に寝て過ごすのがこの上なく幸せ?!

そうか。

それは、なんていうか…
ものすごく、ものすごく健やかな発見だ。


《こんなに天気がいいのだから動かなければもったいない》が私の基本感覚だよな…と気づきました。
その私の感覚はそれはそれでいいのだろうし役にも立つけど、
健やかさには欠けるかも、と。


《天気のいい日に寝て過ごすのって幸せ》という2号の言葉で、
私自身の根本にはなかったその健やかな感じが私の中に入ってきて、
『ああ、ホントにそうだよね〜(^^)』とその感じとの一体感を得られた途端に、


身体が、なんだか起きられるような感じにシフトしました。


言葉にするとしたら、《幸せに眠って休んだから、もう充足しました》な感じ。


それで身体をムクリと起こして、リビングの時計を見たら、
10:50。


家には誰もいません。私ひとり。


どこからが夢だったんだろう? 最初から?
1号と手を合わせた感触はしっかりあるのに。
  

おかげで、喘息はおさまっていて、とっても幸せな気持ちです。


  *  *  *  *  


私は子どもたち(1号と2号)を愛おしく思えなかったことをきっかけに、
虐待のことや暴力のことを本質的に学びたい!と思うようになり、今に至るので、

その私が、子どもとの夢で、こんなに幸福感に満たされる日を持てるようになるなんて、
自分でも不思議。
なんなんだ?これは? なぜこうなった??? みたいな感じがあります。


子ども(自分が産んで育てた子 という意味でここでは書いています)を好きになれなかった私にとって、
逆説的な気もするけど、
子どもから愛してもらえることほど、
奇跡的で幸せなことってありません。


「勝手に産みやがって! 勝手にお前の子という人生をこっちにしょわせやがって!」と
子どもが思ったり言ったり暴れたりしたとしても
子どもは何が解決できるというわけでもなく、
親もまた、何も申し開きができない。
親子関係って、そういう厳しい土壌の上に成り立っている面があって、

土壌は厳しいのだけど、
だからこそ、
時間と手をかけて、そして色んな知恵を注いで、いろいろやってみるしかないのが
親子関係ってものだよな〜…とか、


そんなことを、つらつら考える昼下がりです。
今日は本当にものすごく良い天気。春みたい。





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by selfdefence | 2014-01-27 14:48 | つれづれ
2014年 01月 25日

女性医療ネットワーク「DV被害者支援のためのネットワークづくりに向けて」

こんにちは。
Wen-Doの福多唯です。

3月30日に、東京で
「DV被害者支援のためのネットワークづくりにむけて」とのテーマで、
女性医療ネットワークの総会が開催されるそうです。

3時間半の催しに、登壇者が多数いらっしゃいます。
多角的な視点から様々な意見や体験等がきける充実した場になりそう!
ご関心のあるかたはぜひ*\(^o^)/*


NPO法人 女性医療ネットワーク 2014年度 総会シンポジウム
「DV被害者支援のためのネットワーク作りに向けて」


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Wen-Do Japanの公式サイト できたてホヤホヤです。
Wen-Doって?にお応えします。

「心の傷と私らしさ」の学習会@金沢市
・2014年1月末〜2月 連続でも興味のあるコマだけでも参加可
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by selfdefence | 2014-01-25 11:33 | 女性支援
2014年 01月 20日

ハンナ・アーレント

こんにちは。
女性のためのセルフディフェンスWen-Doの福多唯です。

昨日「ハンナ・アーレント」を観てきました♪

あらすじ(ストーリー)は、私にとっては、公式サイトや予告編に出ている通りでした。
ハンナが、彼女が真実だと感じたことを世の中に公表し、多大な非難を受ける。
友人ですらハンナから離れていく。
それでもハンナは彼女にとっての真実を貫くのを辞めない。
そんなお話でした。

私が映画を観賞して得た体験は、予告編に表れない《その先のストーリー(結末)》を知ることではなく、
ストーリーを語る具体的なエピソードのひとつひとつに表れる「『人間くささ』との触れ合い」です。
ハンナ・アーレントの映画の中には、
人というのはこういうものなのだな…と実感させられるエピソードがあふれていました。
初見でそう感じたのだから、2度・3度と見たら、どんなに発見があるだろう。
上映期間中にまた行きたいなあ…と感じています。


*以下、感想のつもりで書くものの、
 ストーリーやエピソードにめっちゃ触れています☆


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

映画のオフィシャルサイトで見るとわかるように、
映画の終盤に、ハンナの8分間のスピーチがあります。
力強くて気高く、これを聞くために2度でも3度でも繰り返し見たくなる作品です。
けれど、物語はその感動で幕を閉じるようなハッピーエンドではありません。

ハンナのスピーチを聴いて、皆が心を打たれて、
「そうだ!そのとおりだ!」と目覚める…なんてことにはならない。

きれいごとを描いていないから魅力的な作品であるのと同時に、
「ああ、それでも、やっぱりこうなっちゃうんだ…。
 そうだよね…。そうだよな…」と私は感じ、
映画を見終わってから、
『だったら一体どんな方法があるんだろう…?』という薄雲が胸の中にかかったような心境になりました。

  *  *  *


《悪は思考不能状態からもたらされ、暴力は人を思考不能状態に陥らせる》

暴力の定義の仕方や「暴力とは?」を表現する言い回しは、
視点や切り口によって色々な形があり、
そのひとつに、『考える力を奪うもの』というものがあります。


暴力を振るわれる対象が、加害者に対して
「なぜ?」と問うことや
「それは嫌だ」と主張することや
「そうしなければならない理由を説明して」と求めることや
「それよりもこうするほうがいいと思う」と提案すること…など、主体性を発揮することを、
暴力を行使する側は暴力行為によって徹底封鎖しようとします。

人の、あらゆる行動や労働、その根源となる思考を『無意味なもの』にします。


裁判では、命令に忠実に従ったまでだ、と淡々と主張をするアイヒマンがそこにいました。
それは、組織や社会など、
個人から主体的に考える力や感じ取る力を徹底して奪いとり、
「心の揺れ」や「良心の呵責」などのヒューマンエラーを徹底排除することで
人が歯車として正確に機能するように仕向けるシステムが存在していたということであり、
アイヒマンは個人を覆うそうした大きな屋根の下で
ある意味実直に、素朴に、悪意なく、ただ適応してそこで暮らしていたにすぎない…というのが、(ハンナの力を借りての)私なりの理解です。

そのようなアイヒマンに対して、
とにかく誰かを悪の発端として糾弾し、責任を取らせたいと思わずにいられない人たちも存在する。
だからこそ裁判が起こります。


その、責任を取らせたいと思わずにいられない人たちのアイヒマンへの訴えが妥当かどうかというと、
全く妥当ではない…という現実もハンナは目の当たりにしてしまいます。

それは皮肉にも、『暴力や悪に晒された人は、思考不能になるのだ』という
ハンナの考えを支えてしまうものでもあったのかも。

裁判を厳しい目で見つめるハンナに、私はとてもハラハラしました。


《悪が思考不能からもたらされるのだとしたら、
 悪の原因を突き止めようとする人の思考は健康に機能しているのだろうか》

責任を取らせたいと思わずにいられない人たちはかつて暴力を直接・間接に受けた人たちです。
その心の傷が大きくて生々しければ生々しいほど、
その件については『考える力』を奪われてしまい、人は論理的にはなれない…ということを
ハンナは体験していました。
被収容者の彼女が、『とっても奮闘したし、多くの仲間を励まし続けた。けれど心が折れた』と過去を語る場面がありました。

そのハンナが、裁判でアイヒマンを訴える人々を見つめます。
アイヒマンにその責を問うのは妥当とは言えないようなことを述べる人たちもまた、
「考える力」を奪われたのだ…ということを確かめていたのかな。


例えば、訴えのために法廷に立ちながら、
話しているうちにフラッシュバックのような症状に襲われて倒れてしまった人がいました。
裁判シーンには当時の、その実写が挿入され、それが現実に起きたことなのがわかります。

被暴力体験は症状を引き起こし、
その症状はその人が自分で考えて行動するための力も機会も奪うということ、
その人物は思考不能な状態にまさに陥っていた、ということが突きつけられたように感じました。

糾弾されたアイヒマンも思考不能だったけれど、
彼を糾弾した人々もまた思考不能だった。

暴力という悪が人の社会のシステムからもたらされるのだとしたら、
「悪の根源」として糾弾しうる人なんてどこにも存在しなくなります。


《傷ついて思考不能に陥っている人にどう向き合うか》

ハンナがそうしたことを考えながら裁判を見たのだろうなという
私の推測が当たっているとしたら、
ハンナが、アイヒマンの裁判を傍聴して彼女が得た彼女なりの真実を世間に公表したあと、
非難を受けたり、なじられたりしても、
ただひとこと静かに言うだけだった理由も、納得がいくなと思うのです。

ハンナはいつも
「やめて」あるいは、「その話は今日はやめましょう」と言うだけでした。
持論を展開したり、反論したりしようとはしません。

非難や批判の投書がくれば、返事を誠実に書こうとします。
反論のためにではなく、
「私の記事がこの人たちを傷つけたのなら返事は書かなければならないわ」と。

大学という教育機関=『人の思考の力を培うための場』がハンナを排斥しようとしたときと、
イスラエルから脅迫めいたことを言われたときだけは、
ハンナは徹底的に闘う姿勢を見せるのですが、
そうでないところでは、ハンナはどんなに一般の人々から糾弾されても、
相手と闘おうとするのではなく、
それまでと変わらない姿勢で人々と向かい合うべく自分を保とうと努力するのです。


《そもそもなぜナチスがこれほどまでに注目を集める?》

そしてこれも推測だけれど、ハンナは、アイヒマンやナチスが、悪の象徴として注目を集めること自体に対しても疑問を持ったのではないかなという気がします。

ナチスは悪名高く『させられてしまった』がゆえに、
世界中で、皆にとってわかりやすい『事例』にされてしまった面があるけれども、
似たようなことは、大昔から何度も繰り替えされ、他の国や集団によっても行われ、

そして今現在でも、誰かによって誰かに対して行なわれています。

例えば、生活保護を申請する人は、窓口でどんな扱いを受けている(という情報を私達は得ている)だろうか…と考えるだけでも、
アイヒマンが、特別に凶悪な人物だ、ということにはなりません。

わかりやすい(←理解しやすいという意味ではなく、「あああれね」と誰もが知っているという意味です)という意味でも糾弾するにも都合の良い何かや誰かを取り上げても、
その『わかりやすさ』や『糾弾しやすさ』に乗っかって『ワルモノ探し』をしようとしている時点で、
そうしようとしている人たちに、真の意味で、悪の根源など見出せるはずがありません。

『あいつが悪いことをした犯人だ。なぜなら××をするのは悪いことで、その悪いことをあいつはしたからだ。
 そしてあいつのような人間と自分は違う』とするのは
考えを述べているようでありながら論理的な部分は全くなく、
それの自覚なしにそれを平気で行うというのは思考停止状態に他ならない。

思考不能な状態こそが、悪の根源。ハンナが見つけたのはそれでした。

《反対意見を持つ人や既に怒りを持つ人に『冷静な説得』は有効か?》

出した記事の中で、ハンナはそうしたことも丁寧に語ったのではないかなという気がします。
(記事内容は映画ではさほど触れられないのでわかりませんが)
そう思ったのは、ハンナは何度も言うのを見たからです。
「最後まで読んでくれればわかるわ」と。

でも、『アイヒマンは思考不能な状態だった』というだけで
ハンナがアイヒマンを擁護していると大勢の人々が解釈し、反感を買ってしまいました。
ハンナに変わらぬ信頼や友情、愛情を寄せ続けてくれる人もちゃんといるのだけど、
その人たちは、ハンナが何を書こうとも、ハンナへの気持ちを変えることはないタイプの人々です。

反対意見を持つ人や既に怒りを持つ人に『冷静な説得』は有効なのか?
もし、Wen-Doの講座でそう聞かれたら私は、
「今のところはそのための有効な方法と私は出会っていないので、
 私だったら、それを試みようとはしません」と答えます。


“最後までしっかりと読んだ上でハンナを理解してくれる人”というのは
多くはないのだ…という現実が、映画の中では描かれていたように思ったし、
(私がそう見ただけかな?)
ああ、やっぱりそうなんだな…と感じました。


《信念と共にいることの孤独さ》

そしてハンナ・アーレントを見ながら私は
友人になれたかもしれない何人かの人たちとのことも思い出していました。

私にも、
「福多さんはなぜ、女性への暴力防止という活動をするの?
 男が悪いと言いたいだけなの?
 女や私はこんなに可哀想なのだ、と、
 被害者意識を盾にして何かをしたいだけではないの?」とか、

「女性への暴力防止を言うなら、もっと怒りの気持ちを本気で表現すべきだ。
 女に暴力を振るうのは男なのに、
 あなたはWen-Doをやりながら、男にすり寄っている。男に甘い」とか、

問いを投げかけてくれた人たちがいます。

そう言葉にする人は、そう言葉にする段階で、内心では相当私(のすること)に苛立っています。
何らかのうずきゆえにそれを問うてくれる人には、言葉は届かないことが多い。

だから、問うてくれた、ということにはものすごく応えたいのだけど、
私には、
『私という人間に好意や関心を持ってくれるなら、
 あなたと友人としての付き合いをこれからも続けられたら嬉しい。
 私という人間を、Wen-Doの福多というだけではなくて、
 多方面から知ってもらって真の友だとあなたが感じてくれる日が来て、
 そのときに同じ質問をしたい気持ちがあなたの中に続いていたら、
 私はそのときに、その話を、友人のあなたとゆっくりしたい』
ということを答えるしかありませんでした。


そんなあの人たち…のことを思い出しながら、ハンナ・アーレントを見ました。

自分の意志で考えることを辞めずに、信を貫くというのは、
なんて孤独で厳しい面を持つのだろう。


《私は『悪の凡庸さ』をどう扱うことが出来るのだろう》

そこで、私がハンナに共通点を見出せればまだ救われるのかもしれないけど、
とんでもない。
私なんてハンナの足下にも及ばない…と感じてしまう(←面倒くさいやつやなw)


女性が暴力に対して力を発揮できるようになるために…とWen-Doをしている私は、
果たして何者なんだろう。


『悪の凡庸さ』に作られた大きなシステムの内側で、
チョロチョロ動いているだけにすぎないんじゃないかな…と重い気持ちになりました。


なにしろ、映画はポジティブなメッセージやヒントは何も残してくれません(^^;
『自分で考え抜くことが人を強くする』と言っている映画(だと私は思った)なのだから、
ヒントなど何も残さなくて当然なんだけど、

じゃあ、一体、何からどうしたらいいんだろう〜〜(泣) な気持ちにはなるわけで。



私の、「福多唯」としてのスタートにはきっかけがありました。

私は自分で考えて自分で行動して生きている、と思い込んでいたのに、
実は全くそうではなかったんだ!!((((;゚Д゚))))))) とある日突然、気づいてしまった。
あの衝撃は忘れられません。


コントロールしていたつもりが、されていた。
自律していたつもりが、駒として動いていた。
操作していたつもりが、実は操られていただけだった。


人が所属する家族とか学校とか組織とか国家…などなど、
すべての社会システムに、
人を思考停止させるほうがシステムにとっては都合がよく、合理的に機能する…という側面があり、
私達はそこに適応せざるを得ない中で、そういう社会の中で生きているのだと。


そうしたアレコレに気づいたあの日は、それでも、実に清々しい気持ちだったのに、
似たようなことをテーマにしながら、ハンナ・アーレントを見た後の私の身体は
なぜこんなにも重いんだろう?


 *  *  *  *


《私にとって、『諦めずに考え抜く』とは》

そんな風に、出口はないのだけど、
考える、考える、考える…をぐちゃぐちゃと繰り返して、
昨夜はとりあえず寝るか、と、眠りにつきました。

そして今朝。
起きて、朝の空を見上げたら。空には雲がありました。


「曇り(の日)を無くすことなんて、私ひとりに出来るわけないよな」と
絶望的にではなく、当たり前の事実として、淡々とそう感じました。


デキルワケガナイ と言葉で書いてしまうと、
ネガティブな、諦めのニュアンスが伴ってしまうのかもしれないのだけれど、
感覚としてはそうではなくて、ただ、そういうことなんだよなと思った、に近い感じ。


空に生まれる雲も、それによる大雨や嵐も台風も、避けることは出来ない。
それでも、私達は自然災害から少しでも自分達や暮らしを護るために、
どうしたら少しでも安心して暮らせるのかを考え続けて、いろんな領域でいろんな人が頑張っている。

あがいているだけなのかもしれないけど、
それでも自然災害の被害を避けきることはできないのかもしれないけど、
だからといって、そんなこと辞めちゃえ、って話にはならない。

そういうことなのかな。

そういうことでいいのかも。


諦めずに考え抜く、っていうのは、
決死の覚悟や決意がいるような大げさなイメージのことではなくて、


『雨がふったら傘をさしたくなれる私と共にいる』
『寒い思いをしなくて済むように一枚多く羽織ろうとする私と共にいる』というようなことなのかもしれないな。


…と長々と書いていたらお腹が空いてきた(笑)。


何を食べたいかな。何を食べようかな。


そのように考える私と、今日も明日も、私は一緒に生きていきたい。
それを続けられるようにするために、
私に必要だと私が思うことと、私にはこれなら出来ると私が思うことを続けます。


    疲れたらとりあえず一晩寝る、って、やっぱすごいわ〜(笑)。



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by selfdefence | 2014-01-20 12:15 | つれづれ
2014年 01月 19日

取り調べの可視化を求める市民集会 今ならUstreamで

こんにちは。
女性のためのセルフディフェンスWen-Doインストラクターの福多唯です。

先週の金曜日の夜、取り調べの可視化を求める市民団体連絡会によるイベントが行われ、
Ustreamで配信されていたので、自宅でそれを見ることが出来ました。
とっても有意義でした。興味がある人は今ならまだご覧になれます♪
(多分今週の木曜日夜くらいまでなら動画が公開されているのだろうと思います。
 そのあとは有料会員でないと見ることができなくなるかも)


さきほど「ハンナ・アーレント」を見て帰宅したばかりの私。
上記イベントで周防監督がおっしゃっていたことと重なって、ものすごく考えさせられています。
もう一度動画も見たくなってきました。
2時間かかるので迷うけど^_^;











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by selfdefence | 2014-01-19 13:58 | つれづれ
2014年 01月 17日

「したくない」は強力

こんにちは。
Wen-Doインストラクターの福多唯です。

度々話題になる「断り方」の話。
Wen-Doでもよく話題になります。
身体動作で相手を拒否るやりかたでなく、言語対応で済むなら、それに越したことはないわけで(*^^*)

現実的に自分に決定権がない場合なら、
「私には決定権がないので」と断ることは多くの人にとってもさほど難しくないようです
また、物理的に受けることができないオファーやお誘いも、「用事があるので」と断りやすいみたいです。

だから、つい、
「夫がダメだと言うものですから(私には決定権がありません)」とか、
「その日は別の用事があって、ごめんなさいね」とかを使いたくなる女性が多いようなのだけれど、


断りたい本当の理由が「したくないから」だとわかっていると、
気持ちと言動が一致せず、
それは傍目に誰からも気づかれないことだとしても、自分にはわかるから、
断ることに成功したとしてもモヤモヤは残っちゃいますよね〜。


やっぱり、多くの人が悩むのは「したくない」から断りたいときのようです。
自分の気持ちひとつ…だからこそ言いにくいのかもしれません。

私は、そういうときに、【自分の気持ちひとつ】と
自分で自分を追い込むアプローチはあまり好みではなくて、
逆に
【したいという気持ちがわかないのは何が理由になっているのかな?】と頭をめぐらすタイプです。

そうすると
・関心がそもそもないから、それについてしたいと思うこともない
・将来はその情報等を必要とすることもあるのかもしれないけど今は必要性を感じない(時期ではない)
・その情報は間に合っている
・他に優先したいことがあり、私にとって重要なものを誠実に大切にできる私でいたい気持ちがある
などなどの理由がそれなりに見つかってきたりして、
ちょっと言いやすくなったり。

そうやってみつけたもののひとつで、
あまり使用頻度は高くないけど、私が気に入っている秘技(?)は、

・苦手なタイプの人が来そうな予感がするので(ごめんね/遠慮します/やめときます などなど)

です。
意義や目的には賛同できても、
なんとな〜〜く、予感される場の感じというか、そこに集う方々の空気感というか…に
行ってみると「やっぱり…」となじめなかったりやられちゃったりすることってあって、
私は、何度も『自分の予感を信じて来なければ良かった(>_<、)』と思ったことがあるので。


そうやって姑息に(?)、自分なりのバリエーションを増やしているところですが、
先日、やってしまいました。


「〜って出来る?」と聞かれ。

  したくないから出来ないです。


と答えました。

あのときの爽快感っていったら。+..:*。+..:*!
んも〜、すごいのすごくないのって☆(←どっちだよ)


どうしてもっと早くこのひとことが言えなかったんだろーーー*\(^o^)/*
もっと早くこう言える自分になっていたら良かったーーーーー*\(^o^)/*

と一瞬思い、

これからはもっと自信を持って、このセリフも言える私になるぞ*\(^o^)/*

と一瞬決意し…かけたのだけど、


ちと待て、と。


爽快感に病み付きになるのは危険なサイン。ってことを思い出した。

Wen-Doの身体動作でも、その効果が強力なものほど、危険です。


爽快感や威力に取り付かれてしまうと、
『本当に言いたいことを本当に言いたい言い方で言えた』から爽快なのか、
『その言い方に威力があることを実感した』から爽快なのかを
検証しなくては…というモヤモヤが打ち消されて、
爽快感や威力を再度感じたくて仕方がなくなり、
我を無くすことにつながっていくし、


我を無くした状態で方法だけを振りかざしたとき、
私は、私ではいられなくなっている。
ただの《暴力化したツールを使う人》になって、
それを辞められない私になっていってしまいます。


みんながそうなるかどうかはわかりません。
でも、少なくとも私自信に関しては、
私はそうなる確立がとても高い一面を持っている…ということを私は知っています。


そんなわけで、

  したくないので出来ないです。


は、強力で、素晴らしいなぁ…と実感しつつも、
やっぱり、断り方のバリエーション探しの旅はこれからも続けようと思いました。


相手にも状況にも前後の文脈にもよるから、バリエーションは無限だな、きっと。








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by selfdefence | 2014-01-17 18:29 | つれづれ
2014年 01月 15日

大阪の枚方市でWen-Do 2014/3/9

3月9日(日)にWen-Doが大阪府内で2講座開催されます。

午後は3時間の入門編。枚方市にて。2500円
http://kokucheese.com/event/index/140010/

夜は90分の超入門編。大阪市内にて。1500円
http://kokucheese.com/event/index/141093/

どちらも有志女性がおひとりでお世話してくださっていますm(__)m
ご都合のつくかたにお運びいただければ嬉しいです!
会場などの詳細は上記の各サイトで。
お申込みもそこから出来ます(^^)/

*3月8日(土)は空いています。
 土曜日なので、関西エリアで興味深そうなイベントや催しがあればいいな。


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by selfdefence | 2014-01-15 13:20 | ☆☆講座案内☆☆
2014年 01月 14日

女のスペース・おん 近藤恵子さん講演会(金沢市)

こんにちは。
女性のためのセルフディフェンスWen-Doの福多唯です。

石川おんなのスペースさんから情報をいただきました。
2月6日に近藤恵子さん(女のスペース・おん)の講演会をなさるそうです。
金沢市 女性センターの2階 大会議室にて。参加無料♪ 

チラシはこちらに掲載してみました。





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by selfdefence | 2014-01-14 13:03 | 女性支援
2014年 01月 10日

そもそも暴力って何?からはじめるWen-Doの講演(高崎市)

こんにちは。Wen-Doの福多唯です。

1月9日という新年早々、高崎市で活動をなさる
NPO法人「ホワイトベル」さんにお世話になり、
高崎市内のホテルで、Wen-Doを講演でご紹介させていただく機会を得ました。

集まってくださったのは高崎市内で学童保育の職員をなさっている方々です。
性別を問わず、年齢も若めなかたからベテランの方々まで幅広くご参加いただきました。

男性もご参加で、子どもさんと関わるお仕事の方々でいらっしゃるので、
どちらかというと知りたいのは子どもの護身のことでいらっしゃるかもしれないなと考えて、
子どもをとりまく暴力=不審者、いじめや虐待のことなどと絡めながら
『社会的弱者とされる人のセルフディフェンスの力を引き出すのに不可欠なこと』についての講演としてみました。


感想はまだ手元にいただいていないのでここからは私の感じ方というか推測ですが、
多くのかたが、「暴力」に関する研修や講演には
あまり接したことがないようなご様子でした。
私は勝手に、けっこうそうした研修の機会はあるのかと思っていましたσ^_^;

確かに、想像してみれば、子どもに学童で関わる職員さんにとって、
子どもの発達のことだったり、食育系の話題だったり、
遊びやプログラムの工夫やメニューについてだったり、救急救命だったり…など、
優先度が高い研修メニューは限りなくあるものなぁ。


また、普段から講演や研修等に自ら足を運ぶ…というよりも、
職員対象の研修が開催されれば、それには誠実に足を運ぶ…という感じで
ご参加くださった方も多いようだったので、
「女性への暴力や犯罪、その防止」の手前の、
暴力についての基本的な話を多めにしました。


  *  *  *  *  *


私は普段は
『目の前の参加者さんに、護身のスキルをひとつでも覚えていただいて、
 《いざというときにこれをすれば逃げられるかも!》と思ってもらえるようになること』を目標としてWen-Doのワークショップをしています。

その私にとって《暴力についての基本的な話》はだいたい以下のようなもので、
高崎の学童保育職員の皆様への講演でも、下記の要素を入れました。


・暴力とは殴る蹴るだけではない。他に何があるだろうか?
(言葉が強烈で、それゆえにイメージが漠然としていたり偏りがちな『暴力』について、落ち着いて分類し具体的に捉え直す)

と考えてみる…というレベルから始まって、

・言葉や態度が暴力として作用することがあるとしたら、
 そういうときの言葉や態度、行動と、
 暴力とならない言葉や態度…指示・要求・欲求の共有・何かのために闘うこと…等との一線を分つものはなんだろう?

に思いをめぐらしたり
(暴力の核に支配欲求やコントロールすべしという思い込みがある、という理解をする)して、

その上で以下も明確化していきます。

・暴力防止を啓発する側の者(参加者に対して講師、子どもに対して大人、生徒に対して教師…等など)は、暴力的な言動を自分がしてしまっていないか?に
 常に配慮する必要がある。(ということを皆さんと共有する)
     ↓
・しかしそれは、頭で理解・納得していても、実践は非常に難しい。
     ↓
・なぜなら暴力は悪意から生じるものばかりではなく、
 躾や指導を意図してのもの=本人は善意のつもりのケースも多いから。
     ↓
・躾や指導を意図した(悪意からではない)言動が暴力となるのは、
 躾や指導を行う側が、自身の「特権」と、それに伴う責務に無自覚な場合が多い。     ↓
・「特権」に無自覚なとき、
 人は『自分は、目の前のこの相手に、この意図であれば、
    反撃されることなく、自分の思いを通すことが出来る立場だ』と
 自分にとって都合が良く相手にとって抑圧的な言動=暴力的な言動を選んでしまう。



Wen-Doのワークショップでは、上記については言葉で語ることはありませんし、
講師やインストラクターが参加者さんたちとの関わりややりとりの中で、
自身の言動でWen-Doの理念を体現するようにします。
そうして結果的に、参加者さんの中には、
「暴力防止とはこのような姿勢ですることが大切なのだ」という理念の部分を感じ取り、共感・賛同して下さる方も出てきます。

講演では体験的学習はなかなか難しいのですが、
学童保育の職員さんとは上記も共有できればいいなと考えて、
具体例を紹介することでイメージをしていただいて、お伝えしてみました。


例えば、トークの後半には以下のような話を入れました。

「Wen-Doの講座で暴力防止のために活動する私達が、
 どのようなことを心がけるかというと、
 例えば、講座では、参加者さんはあまり講師の近くにはいらっしゃらないので、
 講師側のスペースってガランと空くことがありますよね。
 親子護身術でもそういうことは多々あります。

 そんなときに『こっちにも来なさーい!』ではなくて、
 『こちらもスペースが空いてますよ〜』と事実を伝えるだけの言い方とか、
 『こちらに来ても大丈夫ですよ』と言うとか、
 または参加者を動かすのではなく、混み合っている方に講師が混ざりに行って、
 参加者さんを自然と散らすようにするとか、
 いくつかバリエーションを考えます。

 その上で、講師である自分のキャラや、受講生との関係性にピッタリ来るものを
 意識的に選んで、声かけをします。

 こんな風に、ひとことかける際でも、暴力防止のための活動では
 『私の声かけは抑圧的になってないかな?』
 『もっと他に言い方や方法はないかな?』と
 自身の言動を点検するクセをつけるようにしています」


高崎市の講演でもそのあたりを話したときに、
メモを熱心に取ってくださっている方が大勢いらっしゃいました。
ああ、学童保育の職員さんは、そうした具体的な情報を欲していらっしゃるのかもしれないな…と感じました。

  *  *  *  *  *


講演の最後に、首に手をかけられたときに外す方法を
おひとりお手伝いに出ていただいてデモンストレーションをしました。

やっぱり…というかなんというか、皆さんどよめいてました(笑)。
うん。あんなにも美しいホテルの会場であまりにもそぐわない声ですね ^_^;


でも! あれは皆さんにどよめいていただきたくてやったことではなくて
(いや、完全にそうではないとは言いきれないですけど)、
お子さんにあの方法をお伝えくださる際に、
ぜひとも、あの意気込みと共に伝えてもらいたいのです。

誰も助けてくれる人がいない状況で、加害者のほうが大柄で強そうで。
すごく怖くて。
そんな切迫した状況で、全力を自分のために使うっていうのは、
こういうことなんだよ!!
…という真剣味を、指導する側が本気で表現することが大事だ、と
私は信じているので。
そしてその真剣味はユーモアや楽しさと共に成り立つもので、
決して堅苦しく厳しくするということではないのだ、とも思っているので。


全てが終了して、私はご参加の皆様より先に会場を退出したところ、
後から控え室で、主催団体のスタッフさんが
「唯さんが会場を出てから、男性の職員さんが、あの方法を実際に試して
 やってみていらっしゃいましたよ」
と教えてくださいました。
早速試してみてくださったんですね! ありがとうございます。


お子さんとの関わりでひとつでも何か活用していただけることがあれば嬉しいです。
皆様お世話になりましたm(__)m

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by selfdefence | 2014-01-10 15:26 | 講座の御礼