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2015年 05月 21日

得意なことが無力化したときに、人は生まれ変われるのかもしれない

こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。


7月24日(金)に、金沢で、「トークバック」の上映会をします!


それに先立ち、トークバックの監督の前作である「ライファーズ ~終身刑を超えて~」を見ました。


終身刑を課された人たち(Lifers:ライファーズ)が、

刑務所の中で、『アミティ』と呼ばれる治療共同体の手法に沿って、

さまざまなことを語ったり、聞いてもらったり、わかちあったりしていく様子のドキュメンタリーです。


作業自体は、語り、聞きあい、わかちあい…なので、

手順や作業としての困難さはさほどではないかもしれないのだけれど、


気持ちとしては(もしかしたら身体感覚的にも)、

これは、ものすごく、ものすごく、大変な作業だよな…と思えることに

実に粘り強く取り組む人たちがそこに映っていました。

美しい映画です。



得意なことで勝負できなくなる  というのは、ものすごく大変だと思う。


ライファーズの彼らは、ライファーズとなる前、

ギャングのヘッドだったりしたわけで、

そこに昇りつめるために発揮した手腕もあっただろうし、

『得意』だったこともあったはずだろうと思うわけですけど、


それを自ら手放さなければ新たな生き方を獲得できないとしたら、

それって、どんなに、葛藤や不安や苦悩や苦痛が伴うだろう…と。



私の知人に、若かった頃に美貌で勝負していた女性がいます。

彼女ならそうだろうなと思います。おばちゃんの彼女を見てもそれはわかる。


美貌で勝負していた当時の彼女は、

美貌が女性としての彼女にとって最強の『生き残りツール』になると信じていたので、

自分を魅力的に見せることへの努力は惜しまなかったし、

自身の容姿に惹きつけられる男性と関係を結ぶことが自分の幸福への道だと信じていたそうです。


けれど人生は面白くて、彼女が好きになった男性は、全盲。


彼に選んでもらうにはどうしたらいいの? と、軽くパニックになった、と。




私にも、彼女ほどではないけれど、ちょっと近い経験ならあります。



私は、聴力がそこそこ良かったのでした。昔。

人がコソコソ話をしても割と聞こえてしまうし、

かすかな音もわかるので、危険回避のための行動が早かった。


それが、20歳前あたりから、徐々に、聴力が悪くなりました。

原因は、いろいろ調べたけれども、これだ!というものは結局わからず。

片耳だけ試し的に手術もしてみたけれど、効果がないことがわかったので、

補聴器を装用するように。



補聴器は煩わしさなどいろいろデメリットも言われますが

(もちろんそれはそうだし、慣れるまでけっこう大変かとも思うけど)、

私にとっては、装用の不快感は小さな問題。

それよりも聴力が悪化したという事実のほうが、大問題でした。


コソコソ話が聞こえないじゃん!

かすかな音がわからなかったら、危険回避の行動を早めに取れないじゃん!


お風呂のときは、お風呂外の声や音がほとんどわからないし。

寝るときにもはずすので、静かと言えば静かで良いけど、静かすぎる(笑)。

恋人と何か(ってなんだよ)するときも

囁かれても全然聞こえない(^^;; ので、応答ができないのです。



得意さを発揮できていたがために長けて出来ていたことが、できなくなると、



…今思えば他にも選択肢はあったのかなあ? よくわからないのだけれど…

私の場合は、生き方を変えるしかなかった。



『聴こえさえすれば、~~が出来るのに!』と思っても無駄なので、

聴こえることでの利便性とか、もっと言えば幸福感みたいなものを

私の《幸せ》の基準の中から排除するしかなくなるというか。



…というか、幸せって何? になるのですが(^-^)

聴力がダメなら視力、と勘違いして一旦そっちに行きかけても、

『いや、だから、そういうレベルの話じゃないでしょー!』と

新たな何かを獲得した気になった瞬間ほど、それは勘違いだと痛感します(^^;;



得意なことが無力化したときに、人は生まれ変われるのかもしれないですね。



美貌で勝負していた知人も、

全盲の人と自分との関係性の築き方に途方にくれた瞬間から、

生き方がガラリと変わったそうです。

うん。そりゃそうだろうな。



ライファーズの人たちも、

勝負ツールだったものを手放しながら、

別のオルタナティブなものを獲得して生き方を変えるための歩みを続けているのかな。



大変だろうな。

ああ、でも、まさに、『人は何度でも生まれ変われる』っていう感じ。



こういう人の姿って美しいな。と思いながら見ました。



私はどうだろう?

今出来ることが取り上げられたときに、

私はどうしたら私でいられるのかな。

どうしたら、大切な人や世界と、つながり続けることができるのかな。



それは、聴力が悪化した当時の私のように、

できなくなった事態に直面したときにはじめて与えられるギフトのようなもので、

今の私が想像したり考えたりしてみたところで、

決して与えられるものではないのかもしれないけれど(^-^)


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北海道物産展で知床ドーナツを買いました。

たまらん可愛さ (//∇//)


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5/23(土)夜 新大阪にてWen-Do3時間講座
はじめての方用のコースです 小学生からOK

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by selfdefence | 2015-05-21 14:32 | つれづれ
2015年 05月 14日

隠すことより明かすこと Pablic rather than Plivate

こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。


歯の詰め物が歯磨きでポロっととれてしまい、急遽歯医者に行くはめになりました。


歯医者って…恥ずかしくないですか?\(//∇//)\


私は体があまり丈夫な方ではないし、頭痛や腹痛も人並みに起こすし、

ずっと服薬してるから肝機能とかすごい悪いし、

怪我は多いし、腰や股関節も痛むことがあるけれど、


歯と、生殖器関連だけは丈夫です(←いきなり何を言い出すんだか


だから、歯医者と産婦人科は縁遠さも手伝って、ひときわ苦手。


第一、口の中なんて誰にも見せないじゃないですか、普通。

好きな人と性行為したって口の中なんて見せないよ!


そんなところを、しかも虫歯だったり…で悪くなっているところを

見られるとかいじられるだなんて、顔から火が出るほど恥ずかしい…。



婦人科も抵抗あるけど、婦人科は一応、なんていうんだろう、

(*日本で今一般的なあの診察室とか診察方法についての議論は別として)

その恥や抵抗心を配慮しますよ、という前提みたいな空気があるのに対して、


歯医者さんは、そうした『恥』への専門家としての配慮はしっかりありながらも、

一般的な建前としては、

歯医者で恥ずかしくなるって、それどうなの?みたいな。

歯医者の治療なんて皆平常心で受けるものでしょ、みたいな。



平常心と平常な表情で処置を受けなければならない…というところがまた

さらに恥ずかしさを助長する~~~(わかりにくいよ!!)。



どうせ苦手な歯医者に行かなきゃならないのなら…と、

今回は私が他の保険外治療についても相談したこともあって、

口中の写真までバシバシ撮られてしまいました。


「もっと力抜いてくださいね~」「あ、そこ、その角度でちょっと保っててください」

「そこはもっとゆるめて大丈夫ですよ~」とか言われながら(笑)

12枚くらい撮ったのかなあ。



明かしたくないところを明かす、とか、

さらしたくないものを提示する、とか、

隠したいものを包み隠さずに出してみる、とか、



そういう、勇気を伴う作業でしか、手に入れられないものってあるよね…とか思いながら、

なんとか1回目の診察は終了です。



  *  *  *


《そういう、勇気を伴う作業でしか、手に入れられないものってあるよね》

などと、

歯医者で大げさにも考えていたのは、

ちょうど昨日、《摂食障害回復サポート あかりプロジェクト》のセミナー案の打ち合わせで、

そんな話をしたばかりだから。



自助グループ活動で大事なことって、これとこれと…と確認をしながら、


治療共同体のアミティでは

『隠すことより、明かすこと  Public rather than Private』という、

成長のための理念が大切にされている…ということについて、

あかりPの村田いづ実ちゃんとあれこれ話をしたのでした。



人に知られたくないこと。知られちゃならないと思うこと。

大切な人には特に、絶対にばれたくなくて、それを思うと怖くなるようなこと。

隠し通さなければこの社会で生きていけないだろう、と思うようなこと。

見せたくないところ、見られたくないところ。



そういう秘密って、自助グループやTC(治療共同体)を特に必要としない人にでも、

誰にでもきっと、何か、あるもので、



それを、誰かに自ら明かせたときに、

自分の中に自分への愛情が生まれるのは、

一体どういう仕組みなんだろう(^-^)



この辺のことは比較的長く学び続けているはずなのだけれど。

いまだにその仕組みは、不思議で深くて、よくわからないです(^-^)



 *  *  *  *  *



治療を終え、待合室の受付で次回予約等をして、

「今日はこれで終わりです」と言われたときのことです(まだ続くのか! 笑)



私は、診察券だけではなく、お薬手帳など他にもいろいろ提出したものがあり、

それらの一部が何かまだ戻ってきていないような気がして、

『あれ? えっと(全部あるかな)…』とつい言ってしまったのですね。


すると、受付の人も、「そうかも!!」と焦って

とっさに周囲をパタパタと見てくださったのですが、


オチは、私の気のせい(//∇//)


    うわーっ!! ごめんなさい! 

    私の気のせいです。全部私の手元にありま~す!

    大失礼で、ドッキリさせてすみません(笑)


と言ったら、


受付の人が、

「いえいえ、なんだか、こちらもすみません」と言って、


「本当によくあるんですよ。

 患者さんを『お大事に~(^-^)』と手を振ってお見送りしたとたんに、

 その手に診察券を持っていてお渡ししてないことに気づく、みたいなのが。

 ほんとにイヤですよね~

 しかも、3人ほど立て続けにやっちゃったりして…」


と、ものすごい照れ笑いのご表情で、関を切ったみたいにだーっと話しはじめました。


その受付の人は、

ワールド・テキパキ・チャンピオン・コンテストがあれば優勝するんじゃない?というくらいに、テキパキしているかたで、

どちらかというと笑顔は少なめで、ピリッとしていて、ピシッとしている。


そのような人が、いきなり別人みたいな表情になり、

ご自身の失敗についてペラペラと話しはじめたのが、私にはとても意外でした。

しかもその顔が、超キュート♡



私がヘテロ(異性愛者)でなければ、恋に落ちてるかも!みたいな。



     いや、そんな風に言っていただいて、益々すみません。

     こちらの完璧な思い違いでしたのに、

     普段の失敗話まで引き出しちゃいましたよね、私(^^;

     悪気はないんですけど、イヤですよねぇ(笑)



「そう!悪気はないんです! ないんですけど、ついお渡しするのを忘れるんです。

 それで、表まで走って追いかけてお渡しする…ってことがしょっちゅうで。

 お恥ずかしい話です~」



思いがけない表情で、思いがけない失敗談を話すそのかたを見ることができて、

なんか、

言い方が大げさかもしれないけど、ちょっと幸せでした(*^^*)



私が失敗をし、それを彼女の前で明かしたことになったのが、

彼女の失敗談や、一枚奥にしまわれていたご表情を、表に出すことになったのだなあと。



お互いに、恥や失敗について話しているわけですけど、

なんか幸せ、って。

なんなんだ、これは(笑)



Wen-Doでも、ときどきこんな瞬間があります。

隠すことより明かすこと。

それができる場や関係を、大事にしたいな。


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by selfdefence | 2015-05-14 13:53 | つれづれ
2015年 04月 24日

「わからない」を目の前にしても大丈夫

東京新聞のWEBで、田房永子さんのインタビュー記事を見ました。
2015年3月7日の記事。
(時期がすぎると、リンクは無効になるかもしれません)



田房さんのお書きになるもの、大好きです。


以下はリンクした田房さんのインタビュー記事からつらつらと私が連想したこと。


田房さんが、
「男は、どんな風に女が怖がっているのか分からないんだと気付いたから(怒りはおさまった)」って話している箇所を読んで、

『どんな風に怖がっているのかわからない(だけ)』なのは男性に限らないんだよな…、と思いました。

女性にも、そういう人はたくさんいる。


現状の社会で、ラッキーにも嫌な目にあったことがない女性が、
(なぜ一部の女性たちがあんなことであんなに騒ぐのかわからない)と思ったとしても
それはしょうがないよな、私にもそういうところは多々あるし…というのが私の実感で、
特にそれを嘆くとか、そのことに落胆するということは
これまでも今も、ないのだけれど、


でも、しょうがないと終わりにしても、
そうした女性たちと私との断絶感が解消されるわけではないので、
それだけだと、なんか寂しい。


自分を取り囲む『世界』は、
わかっていることだけで出来ているわけではない。
わかっていない(わからない)こともたくさん含まれている。


「わからない」に対してもっとフラットにオープンになれたら、
「わからない」人たちや「その人たちのことがわからない」私とも、
もうちょっと仲良くできそうな気がします。


「わからない」のがイヤなのは、
私の場合、

わからないと、とても扱いにくいイヤな感じが生まれてきちゃうからなので、


「わからない」を目の前にしても、
扱いにくいイヤな感じが生まれてこなくなるように。

「わからない」を目の前にして、イヤな感じが生まれてきたとしても、
それに揺さぶりをかけられないように。
それを多少は扱えるように。


なっていけたら、嬉しいな。


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by selfdefence | 2015-04-24 12:12 | つれづれ
2015年 04月 21日

久しぶりに瞬間湯沸かし器

こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。

ここ数年、瞬間湯沸かし器になっちゃうことはなかったのが、
一昨日の夜、久しぶりに怒りが炸裂してしまいました。


出来事はまったくたいしたことではなく。
普段なら誰かに「ちくしょー!」と愚痴れば終われる程度のことだったので、
なんか、自分でも『え? 今怒ってるのって誰?!』みたいな感じでびっくり。
ストップー!とか、深呼吸ー!とか言う自分もいないわけじゃないんだけど、
全く聞く耳持ってないよ、この人、みたいな。


その怒りの弊害は、ボディブローのように、あとからじわじわ来て、
昨日はグダグダな1日を過ごしました。


私が怒らない人を目指してきた一番の動機は、


怒るような出来事が自分にふりかかることそのものが嫌なのではなく
(嫌だけど避けきれないから、しょうがないかなと思う部分はある)、

怒ることそのものへの不快さでもなく
(どちらかというと怒鳴ったり暴れたりしているときは率直に言って解放感がある)、


起きた出来事とあまりにも不釣り合いな怒りを爆発させてしまった後の、
じわ〜っとやってくるこの感じをなんとかしたかったから…なのを
久しぶりに思い出しました。


今までどうやってきてたんだっけ??

ある程度上手くいっていたのに、
一昨日の夜、うまく機能しなかったのはなんでだろ??? 


  *  *  *  *  *


怒らない人になるぞ!と決めて、最初のうちは
「怒っちゃうとまた《あれ》に悩まされるぞ。それはイヤだろ?!」みたいな心持ちで、
怒らないための予防措置をとる、みたいなことをしていました。


例えば、言いたいことは我慢しないで言うとか。
怒りは爆発まで貯めずに小出しにする、とか。


それはそれで全く効果がないわけじゃないんだけど、
しばらくやってみたところで、
本質的には、あまり役に立たない…という言い方はちょっと違うか、
長い目で見れば役には立つのだけど、
それだけでは無理だ、という気がしはじめました(私の場合です)。


というのは、
予防措置としてしようとすることって自分の習慣の中になかったことなので、
それをきちんと自分に定着させるとこまで持っていくのは難しい(時間がかかる)し、
それで別の悩み(うまく出来ない! うまくいかない! など)がもたらされちゃうから、
取り組んでいるプロセスで、嫌になる→爆発する が、何度か繰り替えされてしまい、
あまり『自分を好き』になれないのです。


そのあと、
《怒るのは感情の問題なのに、
 体を使いたくなる(怒鳴ったり、殴ったり、暴れたりしたくなる)のは
 どういうことだろう?》と考えはじめて、
心身を統合的に扱うような何かをすると良さそうだ、と思うようになって、
その学びは楽しく、苦でもなく、今もずっと続いています。


あと、身体的に満たされていない何かがあるときに、
それに手を伸ばしたいあまりに体が暴れたがるのかもしれないなという気づきもあって、
睡眠不足や極端な空腹(と、水分不足な状態)、疲労を避ることも心がけるように。
これも、さほどの難しさも新たな悩みも生まれずにやれたことのひとつ(^-^)


もうひとつ、
さほどの難しさも新たな悩みも生まれず、けど効果のありそうな対処法として、
《暴れるなら、代替行為に置き換えて昇華》というのを、ずっとやってきました。

子どもを殴ったり蹴ったりしたくなるような衝動がこみあげてきたら、
気持ちの激しさはそのままで、「てめー! 思い知れ!」って言いながらでもいいから、
全力で力をこめて抱きしめるとか、おもいっきりこちょこちょをするとか。

あと、怒鳴りたくなったら、せめて母語?じゃない言葉を使おう、とか。
私は関東出身者なので、素の言葉は関東の言葉で、暴言は得にそうだけど、
あえて金沢弁で怒鳴ったり、謎の外国人(?)として文句を言ったり。


体の衝動を、暴力とはされにくい別の方法で放出させると、
けっこうそれで体の気は済むし、人を傷つけることがないので便利でした。
(体育会系ではないので運動で放出することは私にはできなかったけど、
 運動が効果的な人なら、それもきっと良いだろうな♪)


  *  *  *  *  *


一昨日の夜は、何が欠けていたんだろう。

昨日、グダグダな私にグダグダとつきあってくれた人たちがいたおかげで、
寝る前にはどんよりしたバイアスがほぐれていたので、
今なら平らにそのまま見てみることができそう、と思えて、ちょっと見てみることに。



睡眠不足だったっけ? …いや、そんなことないな…
おなかが空いてたっけ? …いや、そうでもなかった…
あのとき怒った事柄について、私、ためこんでいたかな? 
 …いやいやいや。逆にしょっちゅう飽きずに文句を言っているものだから、
  「『何度言ってもわからない相手だ』ということが、何度経験すればわかるんだよ」と
  相手から諭されるくらいだ…


ひとつずつ思い出しながら振り返りました。


相手に殴りかかりたいくらいに沸点に達していたときの内側の感じとか、
殴りはしなかったけど、相手をくすぐって、ガーッと抱きしめて
相手はそれを防御しようとするからちょっともみ合いっぽくなって、
そのあと私はドアをバタンッと閉めてお風呂に入って……


そこまで思い出したところで、


ああ…!そういうことだったか…!


私は、誰かを抱きしめたいし、抱きしめられたいだけだ。


怒りを炸裂させた相手に、怒鳴りながら抱きついたときに(←よく考えるとひどいことしてるw
一瞬何かがほぐれた感じがしたのが、今になって蘇ってきた。


なんだ。
そんなことだったなんて。


4月から娘が家を出て、誰とも抱き合うことがなくなっていたので。
これまでと今の、決定的かつ大きな違いは、それか。


『娘がいなくても、たいして寂しくならないなあ』などと思って過ごしていたのに。
感情面では寂しさや欠落を感じないとしても、
身体は、どうしたらいいのかよくわからなくなってたのかも。



思い出すことがなくても忘れてはいないことが
人にはたくさんあるように、


感じることがなくても積み重なっていることって
人にはたくさんありそうです。



娘に手紙でも書こうかな(^-^)


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写真は金沢市安江にあるcurio(喫茶店)。
昨日は隅っこの二人がけできるテーブルに座りました。
見えないけど、ローソファの席もあります。
「あのソファ席に、彼と横並びで座りたい♡」と友人に言ったら、
『はいはいはい』とあしらわれました。

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by selfdefence | 2015-04-21 15:52 | つれづれ
2015年 04月 16日

メモ:犯罪白書

犯罪白書のメモ



女子の犯罪・非行 はじめに




人が被害者となった一般刑法犯の認知件数及び男女別の被害発生率



犯罪被害者給付制度



性犯罪による被害発生率の推移



13歳未満の子供が被害者となった主な刑法犯 (罪名別)



女子の窃盗


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by selfdefence | 2015-04-16 08:45 | つれづれ
2015年 04月 08日

不確かそうなものに抱きとめられて歩く

おはようございます。
Wen-Do Japanの福多唯です。


今朝、パンを買いに行かないといけないのをわかっていながら、
5:50にかけたiPhoneのアラームを2回スヌーズし(1回が9分後に鳴るので2回で18分経過)、
そのあとやっと観念して、コンビニへ。


レジに、パンと牛乳と豆乳を置いて、

      『おはよーございます』

と言ったら、

レジの人が「おはようございます」と返してくれました。


同じように挨拶を交わしても、その都度、お互いの間に流れるものはなんとなく違う。


今朝は、なんとなくだけど、あ♪今なんか通じた♪♪と感じて、


挨拶を返してくれた人に目線を上げると、
レジの人も笑顔でした(^-^)

      『早くから、おつかれさまです』

「ありがとうございます。
お互いに(^-^)
おしぼりとか、ご入用ですか?」

      『いいえ、大丈夫です。ありがとう』



時間にするとほんの5秒ほどのこと。
表面的には何もないし。
でも、あの瞬間に、確実に何かが取り交わされた感じがする。


何が取り交わされたんだろう。
そもそも、この実感すら、一体私のどこにどのように存在するのかな?


目で見たり、手で触れたりできないもの。
意識とか、気持ちとか、実感とか。


そういう、不確かそうでいて確かなものに、
私は抱きとめてもらって、
なんとか、毎日を歩く。
(まあそれも、衣食住が確保された上で言えることではあるんだけど…)


2回スヌーズしたけど、
コンビニにちゃんと行って良かったです(^-^)
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by selfdefence | 2015-04-08 08:28 | つれづれ
2015年 03月 25日

今年の禁糖

こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。


去年も一昨年も禁糖に入るたびに、禁糖してます!とfacebookやここで騒ぎ立てました(笑)。
そう宣言しないと、心が折れてしまいそうだったからかもしれません。

今年は、「あ、明日からやろうかな〜」とふっと思い立ち、
翌日からサッと始めて、
すでにそろそろ終わりの時期です。


たった3回目(3年目)のチャレンジで、随分と自然体で楽になったなあ…。


こうなったのは、
調味料を買い直す必要がすでになくて、
(禁糖がいつでもできるような調味料が家に揃っている)
お料理での味付けの仕方がわかり、
(塩と醤油と味噌しか使えないの?となっていたのは初トライの年だけです)
食べてOKなものとそうでないものが頭に入っているために、
買い物時にいちいち悩んだり落胆したりしなくなったことが大きいです。


たった3回でここまで自然体に取り組めるようになる事柄ってそうそうないぞ。
しかも1年に10日〜2週間だけで良いなんて。


そして、(禁糖は、身体教育研究所の整体稽古会で聞いた稽古メニューのひとつなのですが)


『前向きに気負いなく向き合えるようになる』のだとしても
どこまで行っても わかる わけではなくて、
私にとって何がどう効いているのか(私にとってそれの良さが何なのか)も
相変わらずぼんやりとしていて、
それでいながら、それが私にとって大切だということを信じることはできる


私にとって、禁糖は、そんな感じであり、


そういう物事が、世の中や人生にはあるのだということがわかるのも嬉しいです。


なんだか、人間関係みたいです(^^)



私が「今禁糖中なの」というと、
禁糖するとどんな効果があるの?と尋ねてくださるかたが、毎年何人かいてくださいます。


興味がちょっとでもあるならやってみて欲しいっ♪ 
早ければ3日目から、遅くても5日目には、
その人にとってのなんらかの感じがわかるようになる、と思います☆


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マヨネーズは使えるのも使えないのも。キューピーの通常タイプは使えます♪


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by selfdefence | 2015-03-25 11:59 | つれづれ
2015年 03月 20日

「暴力克服はその気になればいつでもできる」とタカをくくっていた頃のこと

こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。


ブログやメルマガに頻繁に登場してくれた(登場させられた?)我が家のツインズが、
高校卒業になりました。
それぞれ進む先が違っていて、昨年末からはその準備に集中しています。


双子の出産と育児は死ぬほど大変でした。
比喩ではなく、危うかった瞬間が何度もあったな…と思います。


私は妊娠期間中から双子育児のサークルと、MLに入り、
育児期間中は随分その存在に心身の大変さを助けてもらいました。


徐々に自分でも何かできるかな?と思うようになり、
自分をみつけるママの会 Snigel m.を仲間と一緒に始めたり、
子どもの虐待防止の電話相談活動に関わりながら虐待について学んだり。
その線上に、女性への暴力防止のWen-Doプログラムの活動があります。


ずっと私の胸の奥にあったのは、
『人に対して本当の愛情を抱けない私はいったいなんなんだ』という気持ち。
人を好きになることはあっても、
それが本当の愛なのかと考えはじめると、とたんに自信がなくなってしまう。


本当の愛情って?と考えても、その問いに答えが(しばらくは)出ないのがわかっていたので、
とりあえず、愛情のある人はこういうことはしないだろう、という行為について考えて、
それを辞めるぞ、と、新人親の私は決意しました(←なんて単純なんだ)。


『辞めるなんていつでもできる』とタカをくくっていました。


当時私のやっていたことは、
人に対して怒鳴ったり、非難してみたり、否定したりバカにしたり。

下に見たり、自分を上にあげてみたり、そのために人を出し抜いてみたり、
裏工作をしたり、ズルをしたり。

「困ったら何でも言ってね」と、私のほうが相手よりも力があることを示そうとしたり。
「こうしたらいいよ」とアドバイスして自分の正しさを主張してみたり。

かわいそうにと憐れみながらどこかでホッとしてみたり。
あなたがそんな目に遭うなんてたえられない!と
相手の大事な大事な怒りを先取り・横取りしてみたり。

愛情のある人が愛情を抱く対象にするとは言えないことばかりでした。


やめようとしてみて最初に私が見つけた事実は、
そうした行為を辞めるのは思ったほど簡単なことではない、ということ。


辞めると、それをしていたときに満たされていた自分の何かが満たされなくなり、
言葉にならない渇望を覚えるのがわかるのです。


代わりの手段を見つけて渇望を満たすか、
渇望の元そのものをなんとかするかしない限り、
本当の意味でちゃんと辞めることはできないんだ…ということは、比較的早期にわかったけれど、
その気づきは、途方もない感じでもありました。


それでも、途中で投げ出さずになんとかやってこれたのは、
私の行った場で、多くのかたが、私を受け入れて歓迎してくれたからだなあと思います。


受け入れて歓迎する、っていうのは、
両手を広げて力強くハグしてくれるような感じではなくて、


例えば私に、中学生になるまで一度も会えたことのなかったおばあちゃんがいたとして、
はじめておばあちゃんの家をひとりで尋ねて行ったときに、
「自分の家と思って、くつろいでね」と言ってもらえるような感じです。


どこに座ってもいいし、『トイレ貸りるね』と言わなくても良くて、
棚は自由にあけてお菓子を食べて、好きなお茶を好きなときに飲んでも良く、
虫の居所が悪ければ『今はひとりにしておいて』と遠慮せずに言ってもいい。
ドライに見えるのに、そういえば寒くはないな、むしろ、常にちょっとあったかいかも…みたいな、
そういう距離感の人間関係。


だんだんと、やさしい人というのはこういう人のことなのかな…と思うようになりました。
随分と自分が思い描いていた像とは違うな、とも思いました。


いろいろを《してくれる》人が必ずしも優しいというわけではないのね、と。


以前は感じられなかったことやわからなかったことが、
随分感じられ、わかるようになってきて、
子どもを育ててきたこの苦しい年月も、無駄ではなかったなと思えます。


これからも、今はまだ見えていないことが見えたり、
何かに気付いて驚いたり、スッと視界が開けたりすることがあるのかな。


全然情報発信になっていなくて、自分のことばかり書いていますが(笑)
これまでたくさんのかたに支えていただいて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


これからも、どうぞよろしくお願いします(^-^)


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by selfdefence | 2015-03-20 10:36 | つれづれ
2015年 02月 12日

iTunes12で北陸新幹線の発着音を着信音に

金沢では北陸新幹線の開通に向けてその話題でもちきりです。
そんな中で、新幹線の発着音が金沢市のサイトから
ダウンロードできるようになっていまして。

その発着音でiphoneの着信音を今日作ってみました。


ただ、やってみたら、…あれ? 以前と同じ方法でできないのは何故っ?!

どうやらiTunesが11になって以降、以前通りの方法ではできなくなっているらしく。
(私のitunesは今日現在で12)

新たな情報を書いてくださっていた方の記事を見つけ、やっと作ることができました。
  参照させていただいたのはこちらの記事です。ありがとうございました。
  『iTunes11で着信音がつくれない!』


  *  *  *  *


私が新幹線発着音で着信音を作った手順は以下のとおりです。


1)北陸新幹線の発着音をダウンロードする。

以下の金沢市都市政策局企画調整課のページに音源メロディがあります。
利用規約に同意すると、ダウンロードの出来るページに。


ダウンロードの出来るページでは、
という文字が出てきますので、

それをいわゆる右クリック(コントロールボタンを押したままクリック)すると、
iTunesで開く が出てきますので、それを選べば、
iTunesのマイミュージックに自動的に音源(melody.mp3)が追加されます。


  ダウンロードする という項目も出てくるので、
  一旦どこかのフォルダやデスクトップにダウンロードしても大丈夫。
  ダウンロードしたファイル(mp3)を
  ドラッグしてiTunesに持ってくれば、追加されます。


2)着信音の開始・停止を指定する

通常ならここで音源を選んで、その音源のどの部分を着信音にするのか、
開始・停止を指定する作業をします。

新幹線発着音はそのままで着信音に出来る長さなのでこの指定作業は省けます。
余韻後の最後の時間が長いと思う人は1秒ほどカットしてもいいかも。


開始・停止を指定する場合(最後をカットしたい場合)は、

iTunesのマイミュージックで追加された音源(melody)を選び、
右(=controlボタンを押しながらの)クリック→《情報を見る》→〔オプション〕 を選んで、
開始と停止にチェックを入れます。

最初は開始にも停止にもチェックが入っておらず、
写真のこのような状態なので、白い四角をクリックして青くします。

e0024978_23480375.png





4)AACバージョンを作成

iTunesのライブラリ表示に戻り、着信音にしたい音源(melody)を選んで
右クリック→《AACバージョンを作成》を選びます。

そうすると、さきほど開始・停止を設定した部分で
新しくファイルが出来て、ライブラリに追加されます。

*ライブラリに、同じ名前の音源データがふたつに見えますが、
 新しい方ものは左に入っていくので、左のほうがAACです。
 確認するには
 右クリック→《情報を見る》→〔ファイル〕で。
 


3)名前を変える(この作業は必須ではありません)

新しく追加された方と元の音源の区別のために、
ここで新しく追加されたAACバージョンの音源の名前を変えておいても
いいかもしれません。

変えたい場合は追加された音源(melody)を選び、
右クリック→《情報を見る》→〔読みがな〕で
新しい名前にできます。


4)ライブラリで表示する
ライブラリで新しいAACの音源を選び、
右クリック→《Finderで表示》を選ぶ。

こんな風に出てきます。
拡張子がm4aになっていればAACバージョンの音源で、合っています。
*もしここで拡張子がmp3だったら(名前を変えなかった人の場合特に)、
 AACバージョンでない方を選んで見ているのかも。

このFinderはこのまま開けておきます。

e0024978_23542045.png
5)いったん削除する

iTunesのライブラリで
さきほどの新しいAACの音源を選び、
右クリック→《削除》を。

以下のように聞かれるので、「曲を削除」のボタンを押します。
削除しちゃって大丈夫です(笑)。




6)ファイルは保持

すぐに以下のように聞かれるので、「ファイルを保持」を選びます。

e0024978_23562746.png


7)拡張子を変える

手順の4)で開けておいたFinderのウィンドウに行き、

(さきほどのこれです)
e0024978_23542045.png
音源の拡張子.m4aを .m4r に変えます。

以下のように聞かれるので、
.m4rを使用 の白いボタンのほうを押します。




拡張子が .m4r に変わりました♪   もうひといき!


e0024978_23585706.png


8)ダブルクリックすると着信音内に入ります

Finderで.m4rになったそれをダブルクリックすると、
音源が再生されて、着信音内(ベルのマークから見れるところ)に入ります。


e0024978_23580825.png

*iTunesでベルのマークが見える状態になっていない人は、
 「…」のマークのところをクリックして着信音を選ぶと
 全ての着信音源が見れるので確認ができます。

 または「…」のマーク→《編集》で以下の状態にして、
 着信音にチェックを入れると、今後も着信音が表示できます。

e0024978_00000639.png



あとはiphoneを同期するときに
新しく追加した着信音も同期するようにすればOKです♪


今日は全くWen-Doや講座と無関係な話題でしたが、
いつも通りWen-Do Japanの福多唯でした(^-^)



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by selfdefence | 2015-02-12 00:05 | つれづれ
2015年 01月 29日

自己責任論で考えた『責任の所在』についての理解

こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。


ニュースが気になり、祈るような気持ちの毎日。

日本人が拘束されてから連日の報道。
インターネット上に出てくる意見の数々。
それらの情報や意見の中には、学べることもたくさんあるけれど、
「え?!」と感じてしまうものも多いです。


報道が始まる前に、講演の仕事の準備をしていました。
講演は、Wen-Doのワークショップに比べるといただくご依頼数が少ないので、
私はまだまだ不慣れな点もあり、時間をかけて準備をします。


何をどのように組み立てて時間内に納めようかを考え、
これでだいたい出来たかな…と思えていたところに、
日本人拘束のニュースが飛び込んできました。


で、最初の「え?!」です。

『自己責任だろ?』という声の多さに驚いてしまった。


今年、新年早々に、『バックカントリースノボ』で3人が遭難し、
3人とも無事に救出された後で記者会見をするという出来事がありました。
この3人のときにも、『自己責任』の声は高かった。
そして、救助隊の人が、救助時に思わず怒鳴りつけて叱ってしまったという音声も
何度か報道に乗りました。


そのときは、
「ああ、とにかく助かって、助けることができて、良かったよ…。
 多少叱られたり責められたりもするだろうけど、
 それだって、命あっての物種だものなぁ…」と思いながら見ていました。



雪山に、あえてコースを外れて乗り込んでいって、遭難してしまったという人が
「自己責任でしょう。もしも助からなくても仕方がないよ」と思われてしまっても、
《そのように思われてしまう》部分についてはまさに、仕方がないかなと思うけれど、


それと、武装勢力に拘束されて人質とされるというのとは、
あまりにも違うと思う。


責任の所在が、ぜんぜん違う。


雪山の件では、大自然にたいして責任を問うことができない以上、
責任は、問うとしたら人間側に問うしかない。
ましてや、必要とされる届け出をせずにコース外に出てしまったのはその3人のルール違反だし、
ルール違反行為が救助活動をより遅らせたり難航させたりした可能性も考慮すれば、
ルール違反行為という3人の落ち度は、直接3人の身の危険につながったと言えないこともないです。


それと比較してみれば明らかに、武装勢力に拘束されるケースは違う。
《要求を通すために人道に反する手段に訴えた》時点で、
行為の責任を問われるべきなのは武装勢力集団。
(総理大臣のふるまいや政策に責任を問おうとしていた人たちもいたけれど、
 それも私は違うと思った)


責任の所在が雪山での遭難のときとは明らかに異なる今回の拘束事件において、
人質のかたがたに「自己責任」と言い放ってしまえる人が日本にこんなにも大勢いる…という事実に

「えっ?!」でした。


事件がなかなか展開せず、連日報道が続き、武装勢力からの2度目・3度目の声明が出てくると、
今度は、【Gさんは潔く自害するべきだ】の声も。


それが2度目の「えっ?!」でした。


いや違うな、「えっ?!」じゃなくて、「はい??」だったな。

「えっ?!」が=「えっ?! そ、そうなんだ〜…」だとすると、
「はい??」は=「はい?? 今なんて言いました?」と思わず問い返したくなる感じ。


そうか。
「えっ?! そ、そうなんだ〜…」では済まないし、済ませていちゃダメだったんだ…。


これは本当に、なんとかしないといけないのではないだろうか。


私のできることなんて、
地球上規模で言えばゾウリムシの額ほどしかないのだとしても(←はい?? ゾウリムシに額??)
「えっ?! そ、そうなんだ〜…」じゃいけない。


それで、講演の内容や構成を白紙から考え直す作業に入りました。


責任の所在をあいまいにする人は、暴力的な言動をする。
責任の所在について混乱させられた人は、自分を護ることが困難になり、
たとえ意図していなかったとしても、結果として加害行為に加担することになる。


責任の所在がどこにあるのかが自分でわかるようになることが護身の基礎だと、
今回、考え直しの作業を通して、私自身も整理しました。


そこ(責任の所在)がわからないと、
自分が自分の責任において出来る範囲のことが
・どこからどこまで で、
・何ならOKなのか
が、明確にならないです。


そして、そこ(自分が自分の責任において出来る範囲のことがどこからどこまでで、何ならOKなのか)が
わからないままで護身のハウツーをいくら身につけても、
それを意識的に『自分を護り、暴力を回避するため』に、自分のものとして使えるようにはなりません。


最悪の場合、私たちが伝えることが、学んだ人に暴力に悪用されることもあり、
そこまで行かないとしても、
『単に過剰防衛なイタい人』を生み出すことに加担しちゃうかもしれない危うさは
日頃痛感しています…(^^;;


やっぱり、一人でも多くの人としっかり共有するためにも、
私自身が、ちゃんと語れるようにならなきゃいけないな。


自己責任などという妙な抑圧に打ち負かされることなく、堂々と自分を護れる人は、
(絶対に加害行為をしないとは言い切れないけど)
少なくとも、無意識での加害行為はしないでしょう。
それは、いわゆる『悪気のない暴力的言動』を社会から減らすことになる!


日常のあちこちに多発する『悪気のない暴力的言動(無意識での加害行為)』がなくなっていくだけで、
どんなに皆が生きやすくなるだろう(*^^*)



…ただ、


クソコラグランプリ? っていうの??!
あれも「えっっっ?!」となったのだけれど、
あれはちょっと…いまだ理解不能です。
心理学用語で言われるところの傍観者ともまた違うような…。


あまりにもあまりにも、あまりにもびっくりして、我が家のJKとDKに尋ねたけれども、
彼らは無言でした…(^^;;
(うかつに私に何かを言うと、やぶへびで怒られかねない…と無言を貫いたのかも 笑)




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by selfdefence | 2015-01-29 15:11 | つれづれ