2007年 06月 25日

野口整体に学ぶボディワーク 面白かった!

こんにちは。

6月24日に、1月から企画して準備をしてきたワークショップが無事に終了しました〜!

いやぁ。面白かったです。

今日は、こころやからだのことに関心のある人13人が集まりました。
講師はNPO法人 横浜アートプロジェクトの「榎田竜路さん」。

音楽家であり、野口整体の心得もある榎田さんから
「感応」
「(身体の)中心」
「軸」
「型のもたらす自由さ」
などを学びました(というか、体験しました、かな?)。

【印象に残ったこと】

榎田さんは、交通事故の後遺症などで身体が大変不自由な状態になったことがあるそうで、そのときに野口整体の門をたたいたらしいのですが、

「先生、どうしたら良くなるんでしょうか?」と聞いたら、

「簡単だよ。自分の身体の、元気なところを見つければ身体は良くなるよ」
と言われたことが非常に印象に残っているそうです。

あ〜。わかるなぁ。

私は幼少期から喘息があって、スポーツは苦手でしたし、マラソン大会とか全校登山などの催しで、皆と同じペースで参加できたことがありません。

「私の身体は全く頼りにならない」と思っていたのに、今私がセルフディフェンスの講師などをしているのは、私の身体の元気なところに、WEN-DOを通して気付くことが出来たためです。

丈夫か丈夫でないか、とか
運動能力が優れているかそうでないか、とか
基礎体力があるかないか、とか

そういった部分だけでは測り知れないのが『身体の力』で、
そう思えると、元気なところを見つけるのは、そんなに難しくなくなっていきます。


【どんなことをしたか】

言葉では何とも言いがたいのですが、
私がこの講座を企画した際のテーマは「大人のための、ぜいたくな休日の遊び」です。

勉強や鍛錬なるかどうかと思われて来られちゃうと、
ガッカリする人も出ちゃうかもしれないとあらかじめ思っていました。

勉強とか鍛錬とか修練とかじゃなくて、
自分の身体や身近な感覚を思いっきり使って、ぜいたくに遊ぶ。
そんな一日を過ごしたかった。

榎田さんは私のその期待にバッチリ応えてくださいました。
野口整体から来る動作などについては文字ではうまく表現できないので割愛しますが、
以下のようなこともして遊びました。



【硯と茶碗で】
 正座して、
 床(テーブルは使いません)に硯を裏返して平らな面を上にし、
 そこに手で茶碗をそっと置きます。
 置くときに「コッ」と音がしないように。

 硯って、ホントに、ほんのちょっとの音でもわかるのですねー。
 
 音をさせないようにするには、腕だけで茶碗を上げ下げしたり取り扱ったりするのではなく、

 自分の身体の重心の軸全体を茶碗に合わせて移動させる必要がある(らしい)ことが、やってみてわかりました。

 腕力や筋力で、茶碗を持ったり茶碗を動かす腕のスピードや勢いをコントロールしたりしてるうちは、多分うまく行かないのでしょう。ものすごくそ〜〜〜っと置いたつもりでも、「コッ」と音がしてしまいます。

 私は、講座時間中では、音をさせないで置くことは出来ませんでした。
多分、硯の『上に』置こうとしている時点で、「ああ、ダメだな」と感じていました。

 なんていうか、こう、硯のすぐ真上くらいに茶碗が近づいたそのときに、私の身体全体が硯を『迎え入れる』状態になれると、硯と私の軸が一体となって、私の軸と一体になっていた茶碗が、音を立てずに硯の上に『座る』ようになるんじゃないかな…ということを感じた時点でタイムアウト(^^;

 またチャレンジしてみます。


【生卵で】

 生卵は、ホントにシンプルに、「立ててみましょう」というのをやりました。

 そう言われて、すぐに玉子の底(カーブの緩い方)をひっくり返して見た私。

 なんか私のたまご、ざらざらしてるし、微妙な凹凸があるし、物理的にこれが立つわけないのでは?と思ったりして(^^;

 でも立ちました。

 カーブの緩い方で出来たら、鋭利な方にも挑戦します。

 こっちは出来なかったなぁ。

 これもまた挑戦します。


【講座で得られたこと】

 私にとって一番の収穫だったのは、「自分を“迎え入れる”(“受け入れる”とか“受容する”とは微妙に違う気がします)」ことの大切さと、それが開く可能性。

 硯も玉子も、はっきり言って、出来なくても困りません。
 しかも、たいていは出来ない(最初からすぐに出来る人がいたらすごい!か、まぐれだと思います)から、「こんなことが出来るからって何になるんだよ!」と強がりをつい言いたくなる。

 けど「できっこないよ〜」と思ったり、途中で「別にこれができなくてもいいもんね!」と思ったりして投げる(止める)と、やはり出来ないで終わります(当り前ですが)。

 講師の榎田さんは、今日何回も「くやしいでしょ?」と言っていました。

 くやしいっていうのは、たんなる比喩であって、人によっては「傷つく」感じだったり、「かなしい」感じだったり、「とりのこされた」感じだったり、「腹立たしい」感じだったり、「途方もない」感じだったりするかと思うのですが、その中身が何なのかはあまり繊細に感じ分ける必要は(ここでは)なくて、

 とにかく、そういう、受け入れがたい感じや、それを感じている自分を迎え入れられなかったら、それは永遠に出来るようにならないのだと、はっきり感じました。


『ああ、できないなぁ。くやしいなぁ。ちきしょーめ』でも何でもいいのだけど、そのような感じ(自分の中の“ある部分”)をどこかにやらないで、迎え入れることができてはじめて、目の前のその課題に小手先じゃなく、私全体が一丸となって向き合うことができる。

 そうすると、いつか必ず、「あ、これか」と、自分にとって何かを得られたみたいな、「お! 今、腑に落ちたぞ!」みたいな、そういう瞬間が来るような予感がしました。(出来ても出来なくても)


****

 このワークショップにご参加くださったみなさま、ありがとうございました。
 このご縁を活かして、また何かにつなげていけたらいいなと思っています。
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by selfdefence | 2007-06-25 13:47 | つれづれ


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