こんにちは。女性のエンパワーとセルフディフェンスWen-Do Japanの福多唯です。
先日、友人たちと一緒にある企画の開催に携わりました。
アメリカでLGBTの婚姻の平等な権利に関して活動をなさってきたJohnさんのお話を聞く会です。
☆ Johnさんの所属団体「marriage equality 」のサイト(カリフォルニア州、サンフランシスコ)
会はこぢんまりした規模で、10人少々の集まりだったこともあり、
『まずは、せっかくだから、皆さんの自己紹介から聞かせてください』と始まりました。
それには意図がありました。
Johnさんたちはアメリカでのご活動でも
パーソナルストーリーをシェアしあうことをとても大切にしているとのこと。
そうすることで、お互いがより『同じ人間として』のつながりを感じやすくなるから。
名前(ニックネームでもOK)と、《あなたがここにいる理由》を話します。
ある人は「ご自身もLGBTとして地域で活動をしている」と語り、
ある人は「医療や看護系の教員をしているため、…。」と語り、
私の番になりました。
* * *
私は男性と結婚していて、血縁での子どももいます。
セクシュアリティはヘテロ(=異性愛者です。今の所そうだと思っている、っていうだけですけど)。
自分のジェンダーアイデンティティに違和感を持ったことは、まだありません。
その私がここに来た理由は…。
私は物心ついたころから複数の病気があり、ずっと服薬を続けています。
薬を飲むことも私の体がそうであることも、
私にとっては『日常』で『いつものこと』でした。
親は、ある病気については、周りには隠せと私に教えました。
幼いころは理由はよくわからないながらも、そういうものなのかなと思っていました。
中学、高校と進み、「なぜ隠さなきゃいけないのだろう」と思うようにはなったけれど
取り立てて話すことでもないので、なんとなくそのままに。
そうして、じきに、ある男性と交際をすることになりました。
彼も私をとても好きでいてくれて、
ある日、彼の家に私を招き、ご両親に会わせてくれました。
ご両親は私に話を振ってくださいました。
「ご趣味は?」
「どんな勉強をしたいの?」
「将来の夢は?」
そして、こうも聞きました。
「お身体は? 健康なの?」。
私が自分の病気のことや、ずっと服薬を続けていることを正直に話すと、
「あら…。なんだかそれ、気味が悪いわね。
薬をずっと飲み続けているだなんて、
血の色だって緑だか何色だかわかったもんじゃないじゃないの」。
私の両親が私に『隠せ』と教えた理由はこれか…、と、そのとき、身をもって知りました。
私の人生はその後も続き、ほかの出会いもあり、
結婚して、子どもがいる暮らしをしているのですが、
今の夫(←結婚経験は一度だけなので今の夫しか夫はいないけど)との結婚のときにも
私の親は、「先方は病気のことや服薬のことなどすべてご承知済みなの?」と、ずいぶんと心配していました。
本人にとってはいつも通りで、特別ではない、なんらかの特徴で、
それが多少他の人と違ったものだというだけで、
社会には偏見や差別意識というものが生じることがあり、
誰でも、他の人と何かがちょっと違うというだけの理由で
いわれのない言動を受けたことがあるだろうとも思っています。
そういう意味で、
今日ここに集まるであろう人たちと私は同じだと私は思っていて、
ここに来る人たちと会いたいと思いました。
それが、私がここに来た理由です。
* * *
Johnさんのお話の中には、何度もDignityという単語が出て来ました。
世の中には、特定の人に対して、
当たり前のように禁じられたり制限されたりしていることが、たくさんあります。
『同じ人間だものなー…』とシンプルに考えれば、
禁じたり制限したりする/されることに
正当な理由などないにもかかわらず。
子どもだから、学生だから、●●の一員として、××という職業のものとして、…とか。
親として、娘として…など、自分で自分を制限してしまうこともあるし、
女性は…とか男性は…もお馴染みですし、
「悪いことをした人間は…」…みたいな、
そこまで来るとあまりにも恐ろしいわけですけれども、
現実にはそれも多々あります。
アメリカでは、同性での婚姻届を受理されるようになり、
ひいては性別自体が婚姻で意味をなさなくなって、
カリフォルニア州では婚姻届の記入欄から性別の欄自体がなくなり、
そのように社会が変わるにつれて、LGBの高校生の自殺率が低下したそうです。
(出典はメモを取らなかったので分からなくなっちゃった^^;;)
人の尊厳をお互いに大切にしあう社会に、近づけば近づくほど、
「もう死ぬしかない」
「自分は生きている必要がない」
「自分など、社会から望まれていないのだから、いなくてもいいのだ」
人がそう考えて死を選びたくなることは、なくなっていくのだなと感じました。
そう言えば、
死にたいとか、別にいつ死んでもいいなーなどと私が思うことがなくなったのは、Wen-Do に出会ってからかも。
(Wen-Do のおかげだけじゃなく、いろいろな要素があると思うけど)
そしてWen-Doがなかったら今回の出会いもなかったです。
Wen-Do を通じての巡り合わせでこの企画を共にした人たちに出会うことができ、
Johnさんともご一緒出来ました。