こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。
金沢は雪で景色が真っ白です。 まるで私の頭の中みたい^^;;
ここのところ、Wen-Do Japanで新設するコースのことで苦悩していました。
私が考えているWen-Do Japanでのコース新設は、何のためのものなのか。
そこを一言にしたいのに、一言に出来なくて。
考えるという作業でこんなに、泣けてくるほど苦悩したことはなかったです。
私って、実は考えるつもりでいながら、『思い煩う』ってことしかしてこなかったのね…^^;;
けれど苦悩のおかげで無事に突破です(^-^)
鍵になったのは、スティーブ・ジョブズさんの伝説のスピーチにある、
「自分がしようとしている仕事は価値があると信じろ」。
そして、自分がしようとしている仕事の価値を信じるためには、
自分がしようとしていることを『俯瞰』する、メタな視点が必須だと痛感もしました。
たとえば。
『人の優しい心を育むために、花を植える運動をしましょう』と呼びかけても、
多分その呼びかけに応じるのは一部の人に止まるし、
異論や反論に出会うと、
「私が花が好きだからって、花を植える運動をしようとしたのは
結局は私の自己中心的な思いに過ぎなかったのかな…」と
弱気になり、後ろめたくなっちゃう。
そう言う経験って、誰にでもありますよね。
自分の取り組みの価値を信じるためには、
自分の取り組みの価値が社会の中でどこにあるのかを見出す作業が必要です。
(私はこれについてはコミュニティ・オーガナイジングで学びました)
『花を植える運動は、社会をどう変えるのだろう?』と
俯瞰の目線で考えてみるわけです。
→『生命が健やかに育ち、活力を発揮できる社会づくり』(←これは単なる一例です)
(《花を植える》は、その実現のためのひとつの手段)
ここまで見えれば、
『花を植えましょう』を掲げながらも、
それが社会にもたらすものは決して趣味や私利私欲のレベルのことではなく、
本質的で、普遍的価値を持つぞ!と、信じることができます。
書くとあっさりなのだけど、これがなかなか…。
一人で考えると、自分の物の見方や考え方の範囲内で解決しようとしてしまうのに、
自分は「客観的」になっているつもりだったりして、
しかも誰からもそれを指摘されないので気付かない。
そのつもりはなくても、いつのまにかそうなってしまうと言う…。
うーん。孤独ってこわい ^^;;
以下が、何度見ても勇気付けられるジョブズさんのスピーチです。
以前にもこのブログに貼ったかな? 再度だとしてもまいっか。