つれづれ

「わからない」を目の前にしても大丈夫

東京新聞のWEBで、田房永子さんのインタビュー記事を見ました。
2015年3月7日の記事。
(時期がすぎると、リンクは無効になるかもしれません)



田房さんのお書きになるもの、大好きです。


以下はリンクした田房さんのインタビュー記事からつらつらと私が連想したこと。


田房さんが、
「男は、どんな風に女が怖がっているのか分からないんだと気付いたから(怒りはおさまった)」って話している箇所を読んで、

『どんな風に怖がっているのかわからない(だけ)』なのは男性に限らないんだよな…、と思いました。

女性にも、そういう人はたくさんいる。


現状の社会で、ラッキーにも嫌な目にあったことがない女性が、
(なぜ一部の女性たちがあんなことであんなに騒ぐのかわからない)と思ったとしても
それはしょうがないよな、私にもそういうところは多々あるし…というのが私の実感で、
特にそれを嘆くとか、そのことに落胆するということは
これまでも今も、ないのだけれど、


でも、しょうがないと終わりにしても、
そうした女性たちと私との断絶感が解消されるわけではないので、
それだけだと、なんか寂しい。


自分を取り囲む『世界』は、
わかっていることだけで出来ているわけではない。
わかっていない(わからない)こともたくさん含まれている。


「わからない」に対してもっとフラットにオープンになれたら、
「わからない」人たちや「その人たちのことがわからない」私とも、
もうちょっと仲良くできそうな気がします。


「わからない」のがイヤなのは、
私の場合、

わからないと、とても扱いにくいイヤな感じが生まれてきちゃうからなので、


「わからない」を目の前にしても、
扱いにくいイヤな感じが生まれてこなくなるように。

「わからない」を目の前にして、イヤな感じが生まれてきたとしても、
それに揺さぶりをかけられないように。
それを多少は扱えるように。


なっていけたら、嬉しいな。


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by selfdefence | 2015-04-24 12:12 | つれづれ

Wen-Do Japanの福多唯です。今のあなたの「これさえ言えれば…」は何ですか。本当の声をあげたそのとき、世界は変わる。


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