つれづれ

久しぶりに瞬間湯沸かし器

こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。

ここ数年、瞬間湯沸かし器になっちゃうことはなかったのが、
一昨日の夜、久しぶりに怒りが炸裂してしまいました。


出来事はまったくたいしたことではなく。
普段なら誰かに「ちくしょー!」と愚痴れば終われる程度のことだったので、
なんか、自分でも『え? 今怒ってるのって誰?!』みたいな感じでびっくり。
ストップー!とか、深呼吸ー!とか言う自分もいないわけじゃないんだけど、
全く聞く耳持ってないよ、この人、みたいな。


その怒りの弊害は、ボディブローのように、あとからじわじわ来て、
昨日はグダグダな1日を過ごしました。


私が怒らない人を目指してきた一番の動機は、


怒るような出来事が自分にふりかかることそのものが嫌なのではなく
(嫌だけど避けきれないから、しょうがないかなと思う部分はある)、

怒ることそのものへの不快さでもなく
(どちらかというと怒鳴ったり暴れたりしているときは率直に言って解放感がある)、


起きた出来事とあまりにも不釣り合いな怒りを爆発させてしまった後の、
じわ〜っとやってくるこの感じをなんとかしたかったから…なのを
久しぶりに思い出しました。


今までどうやってきてたんだっけ??

ある程度上手くいっていたのに、
一昨日の夜、うまく機能しなかったのはなんでだろ??? 


  *  *  *  *  *


怒らない人になるぞ!と決めて、最初のうちは
「怒っちゃうとまた《あれ》に悩まされるぞ。それはイヤだろ?!」みたいな心持ちで、
怒らないための予防措置をとる、みたいなことをしていました。


例えば、言いたいことは我慢しないで言うとか。
怒りは爆発まで貯めずに小出しにする、とか。


それはそれで全く効果がないわけじゃないんだけど、
しばらくやってみたところで、
本質的には、あまり役に立たない…という言い方はちょっと違うか、
長い目で見れば役には立つのだけど、
それだけでは無理だ、という気がしはじめました(私の場合です)。


というのは、
予防措置としてしようとすることって自分の習慣の中になかったことなので、
それをきちんと自分に定着させるとこまで持っていくのは難しい(時間がかかる)し、
それで別の悩み(うまく出来ない! うまくいかない! など)がもたらされちゃうから、
取り組んでいるプロセスで、嫌になる→爆発する が、何度か繰り替えされてしまい、
あまり『自分を好き』になれないのです。


そのあと、
《怒るのは感情の問題なのに、
 体を使いたくなる(怒鳴ったり、殴ったり、暴れたりしたくなる)のは
 どういうことだろう?》と考えはじめて、
心身を統合的に扱うような何かをすると良さそうだ、と思うようになって、
その学びは楽しく、苦でもなく、今もずっと続いています。


あと、身体的に満たされていない何かがあるときに、
それに手を伸ばしたいあまりに体が暴れたがるのかもしれないなという気づきもあって、
睡眠不足や極端な空腹(と、水分不足な状態)、疲労を避ることも心がけるように。
これも、さほどの難しさも新たな悩みも生まれずにやれたことのひとつ(^-^)


もうひとつ、
さほどの難しさも新たな悩みも生まれず、けど効果のありそうな対処法として、
《暴れるなら、代替行為に置き換えて昇華》というのを、ずっとやってきました。

子どもを殴ったり蹴ったりしたくなるような衝動がこみあげてきたら、
気持ちの激しさはそのままで、「てめー! 思い知れ!」って言いながらでもいいから、
全力で力をこめて抱きしめるとか、おもいっきりこちょこちょをするとか。

あと、怒鳴りたくなったら、せめて母語?じゃない言葉を使おう、とか。
私は関東出身者なので、素の言葉は関東の言葉で、暴言は得にそうだけど、
あえて金沢弁で怒鳴ったり、謎の外国人(?)として文句を言ったり。


体の衝動を、暴力とはされにくい別の方法で放出させると、
けっこうそれで体の気は済むし、人を傷つけることがないので便利でした。
(体育会系ではないので運動で放出することは私にはできなかったけど、
 運動が効果的な人なら、それもきっと良いだろうな♪)


  *  *  *  *  *


一昨日の夜は、何が欠けていたんだろう。

昨日、グダグダな私にグダグダとつきあってくれた人たちがいたおかげで、
寝る前にはどんよりしたバイアスがほぐれていたので、
今なら平らにそのまま見てみることができそう、と思えて、ちょっと見てみることに。



睡眠不足だったっけ? …いや、そんなことないな…
おなかが空いてたっけ? …いや、そうでもなかった…
あのとき怒った事柄について、私、ためこんでいたかな? 
 …いやいやいや。逆にしょっちゅう飽きずに文句を言っているものだから、
  「『何度言ってもわからない相手だ』ということが、何度経験すればわかるんだよ」と
  相手から諭されるくらいだ…


ひとつずつ思い出しながら振り返りました。


相手に殴りかかりたいくらいに沸点に達していたときの内側の感じとか、
殴りはしなかったけど、相手をくすぐって、ガーッと抱きしめて
相手はそれを防御しようとするからちょっともみ合いっぽくなって、
そのあと私はドアをバタンッと閉めてお風呂に入って……


そこまで思い出したところで、


ああ…!そういうことだったか…!


私は、誰かを抱きしめたいし、抱きしめられたいだけだ。


怒りを炸裂させた相手に、怒鳴りながら抱きついたときに(←よく考えるとひどいことしてるw
一瞬何かがほぐれた感じがしたのが、今になって蘇ってきた。


なんだ。
そんなことだったなんて。


4月から娘が家を出て、誰とも抱き合うことがなくなっていたので。
これまでと今の、決定的かつ大きな違いは、それか。


『娘がいなくても、たいして寂しくならないなあ』などと思って過ごしていたのに。
感情面では寂しさや欠落を感じないとしても、
身体は、どうしたらいいのかよくわからなくなってたのかも。



思い出すことがなくても忘れてはいないことが
人にはたくさんあるように、


感じることがなくても積み重なっていることって
人にはたくさんありそうです。



娘に手紙でも書こうかな(^-^)


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写真は金沢市安江にあるcurio(喫茶店)。
昨日は隅っこの二人がけできるテーブルに座りました。
見えないけど、ローソファの席もあります。
「あのソファ席に、彼と横並びで座りたい♡」と友人に言ったら、
『はいはいはい』とあしらわれました。

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by selfdefence | 2015-04-21 15:52 | つれづれ

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