2014年 12月 04日

北原みのりさんとろくでなし子さんの逮捕に思う

Wen-Do Japanの福多唯です。

驚きました。北原みのりさんの逮捕を伴っての、ろくでなし子さんの再逮捕のニュースに。

今年の夏、ろくでなし子さんが逮捕されてはじめて、私はろくでなし子さんのことを知りました。

私は…そうでありたくはないのだけれど…頭のかたいところがあって、
最初はろくでなし子さんの『作品』や『作風』について「なんだそれ」と感じたのが正直なところでした。

言葉にするとしたら、そのときの内心の正直な思いは、

・常識的に考えて、ふつうはやらないでしょ、それ。
・これのどこが芸術なのか共感できない。
・やっちゃダメなことなんじゃないの、それは。

に、限りなくかぎりなく近かった。


でも、私は公立の美術大学を卒業したので^^;;(←私が美大卒だなんて、他の美大・芸大卒のかたを冒涜するようで気がひける…
公立の学校に、裸体のトルソや石膏像(レプリカですけど)がゴロゴロしていた光景も、すぐに思い出すのです。

それに、性的な表現にかかわらず、
《これのどこが芸術なのか共感できない》と感じてしまう作品に出会うことも
(これは美大卒に関係ないけど)多々あります。
   
  …しかもそれが現代アートの著名な作家(の作品)だったり(笑)


一糸まとわぬ全裸の女性を複数でぐるりととりかこみ、
彼女のつま先から髪の先まで、シワやホクロまで、2時間も3時間もじっと見つめて、
それを毎日繰り返す…という日々を、デッサン実習のために過ごしたこともある。
(見つめてただけじゃないです。
 見つめながら描いてました。←当たり前すぎる補足だけど念のためw)


そうした現実や、自分自身の本音の掘り起こしや、体験や…を思い起こすと、

・常識的に考えて、ふつうはやらないでしょ、それ。
・これのどこが芸術なのか共感できない。
・やっちゃダメなことなんじゃないの、それは。

と、一瞬思ったとしても、
それを言うのは、何よりも、私のためにならないから辞めておこう、となります。

何がアートで何がそうでないか、
何ならやって良くてどこからはダメなのか。
それを決める権利は誰にあるんだ?(私じゃないのは確かだな)と思うから。


  *  *  *  *  *


アートとされる、絵画や写真や彫塑作品や時にはパフォーマンスなどで
性的な表現のものは沢山あります。

私はどうだったかな。そういうものやそういうクリエイト作業?に向き合ったときに。

常に平常心でそれらをアートとして見ていたのか。
常に平常心で、実習として、コツコツと裸婦デッサンをしていたのか。

そんなわけありません^^;;
そういう人もいるかもしれないけど、私は違う。


ドキドキしたり、
性的な感情や欲求を揺るがされることがあったりします。
嫌悪感を覚えることもあれば、よろこびに似たものに満たされることもある(観るだけなのにね)。

だからこそ、
〔人を性的にかき乱す可能性の高いものは猥褻物として取り締まれ!〕なのかもしれないけど、

そんな乱暴な発想を、反射的に即座にするのもまた、なんていうか、
底が浅いというか、あまりにも貧しいというか。


性的なものに対して自分の中で何かが起きかけたときに、

「いやいや、でも、今私がするべき行動はそっちじゃないでしょ^^;;」とか、

「作者はこれをアートとして提示しているのだから、
 作者の意図や主張に耳を傾ける姿勢くらいは持ってみよう。
 耳を傾けたその上で自分はどう感じるのかを改めて見てみる…という間を取る努力を、
 私もしてみようじゃないか」とか、

いろんなことを、頑張ってみる。
そういうことを、美大で、多少はやってたよな、私ですら。と思うのです。

そうやってなんだかんだして、
《私情を一旦脇に置く》ことを学んだり、
《相手の主張を客観的に受けとめる努力をする》ことを学んだり、
《あなたはそう感じるのですね。私はこう感じています》と
【対等に自己主張をするための、自分なりの術】を磨くことの重要性というものを学んだりしてきました。


そういう作業は別にアートや芸術に携わらなくても、
皆が何らかの形でそれぞれにやっていることなのだろうけれど、
美術大学というのは、
私が、
そういうこと(性的なものに関わらずの『そういうこと』)を内心冷や汗かいて、
けど表向きはポーカーフェイスを装いながらやってきたぜいっ!
…ということが、
否定したくてもできないほど、わかりやすい場だったなー…と思います(あくまでも私にとっての話)。


美術大学を出ながら、表面的には全く関連のないことを仕事にしている今でも、
美術大学でああした体験が出来て、美大卒で良かったなあと思っています。
文化とか知とか教養とかたしなみ…といったものから、ものすごく遠い生き方を私はそれまでしていたので。
(今も五十歩百歩な気はするけど、
 本人にとっては50歩と100歩は倍の差がある!w)


  *  *  *  *  *


そこまで自分を振り返ってみてから、
あらためてろくでなし子さんの逮捕について私がどう思うのか? とやってみると、
一度目の逮捕のときにも、その逮捕はあまりにも不当だ、と私は思いました。

・常識的に考えて、ふつうはやらないでしょ、それ。
・これのどこが芸術なのか共感できない。
・やっちゃダメなことなんじゃないの、それは。

という気持ちがキレイに覆るわけではないです。
でもだからといって、逮捕されてもしょうがないわね、とは、絶対に思うまい!という気持ちは
くっきりはっきりしてくるのでした。


ろくでなし子さんの作品をわいせつ(性的な羞恥心等をかき乱すもの)だというなら、
ドキドキしながら、生身の全裸の女性のデッサンをしていたときの私自身のありようのほうが
よっぽどわいせつだった(^^;; 。


  *  *  *  *  *


北原さんの今回の逮捕とろくでなし子さんの再逮捕が
どこでどんな事情で決まったのかは、私にはよくわからないです。
色々と推測はするけれども、しょせん素人の推測の域を出ません。


納得できる理由が公にされていない以上、
ここまでのことをやらないとならない、のっぴきならない何らかの事情、
しかもそれは『秘密』でなくてはならないような事情…があるのだろうな、くらいしか。

そんなことのために人が犠牲になって良いとは決して思わないけれども、
組織では個人的な倫理観や気持ちというものが通用しない局面があるのも想像がつきます。
私がその組織にいたら止められたのか?と想像してみれば、
それは途方もなく難しく、悔しい事態に思えます。


逮捕に関わった皆が、やりたくてやっているわけではないことを願うしかない。
本当はそうしたくなかった、止められるならとめたかったという人がいることを願うしかない。
どうかおふたりが不当な拘束から1日も早く釈放されて欲しい。


逮捕となった北原さんとろくでなし子さんと、
今回のことに図らずも関わることになってしまった人たちに、
知人でもなんでもない私が何をどうしたらいいのかは皆目検討がつきませんが、
とにかくこの逮捕には、ものすごく胸がざわざわしています。

願いをせめて形にしたかったので、私はとりあえず署名をしました。
(元のURLがとても長かったので短縮URLにしましたが、
 アクセス先は Change.org です)


芸術家・ろくでなし子氏の即時釈放を要求します

http://chn.ge/1yi5MQD




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by selfdefence | 2014-12-04 18:06 | つれづれ


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