2014年 03月 30日

抑圧・差別・暴力について見事に描いた「むかしMattoの町があった」

こんにちは。
Wen-Doの福多唯です。

昨日(H26/3/29土)、「むかしMattoの町があった」という映画の
石川県の小松市での上映会に行ってきました。

イタリア国営放送RAIと映画会社Ciao Ragazzi!が作ったこの作品は、
イタリアでの精神保健改革の最初の20年を描いたもので、実話ベースの作品です。

とりあえず、予告編動画をどうぞ!
(予告編のYou tubeページに行ってご覧になると、映画についての詳しい解説文面もついています)

私がこの映画を特に素晴らしいと思った点は、
「女性」の社会的な立場を、ストーリーの中に見事に取り入れて、
社会に蔓延する抑圧や差別の構造をわかりやすくしていたところです。

多分、そうしなければ、
「精神病の人だからといって、あんな仕打ちを受けるなんて可哀想」みたいな同情の声は集められるとしても、
精神病患者として扱われた/ている人々への敬意あるまなざしを呼び起こすことは難しいからだろうな。
社会にこそ、抑圧・差別・暴力の構造が存在するのに、
そこへの理解を喚起出来ずに終わっては、逆に差別を強化してしまうことになりかねない。


一般社会の私達には、けっこう強い思い込みが形成されてしまっています。
“精神病の人たちは、発作的に何かをしてしまうことがあり、
 それは本人ですらコントロールができず、だからこそ病気なのであるから、
 そうした人々が社会で平穏に皆と協調して暮らすためには、
 『専門的』な『管理体制』が、『ある程度』は不可欠だ” という思い込みです。

その、私達の意識にこそ、抑圧的で暴力的で差別的なものが潜んでいる…ということに
ほんの数時間の映画を通して私達が自ら気づくというのは、かなり大変です。

「精神病患者」に対してそう思いこんでしまっていると、
「精神病患者」のエピソードをいくら取り上げても、根底のその意識はなかなか覆りません。

『電気ショックなんてひどい』『身体拘束なんて人権侵害だ』『精神病の人だからといって差別はいけない』
そうした発言をする人でも、
精神疾患のあった人が何か犯罪を起こしました、という報道を聞いたとたんに、
同じ口で『しかも入院してて、一時帰宅したときの犯行だなんて…病院の責任は重大だ』と発言する…
ということは、あちこちにある話です。

Mattoの町の映画では、
《一般の人だけれども抑圧と差別を受けている=女性の立場を映画の中で丁寧に描いていました。
そうすることで、この作品は、
社会を形成する私達の意識にこそ、抑圧的で暴力的で差別的なものが潜んでいる…ということを
わかりやすくしてくれていたなと思います。


  *  *  *  *  


例えば、映画に登場する看護師、ニヴェス(女性)のエピソード。


ニヴェスは、最初は体制に従って言われるがままに、
「発作」を起こす精神病の入院患者たちに「医師の指導での処置」を行っていたひとりでした。

けれどもある時点でそのような生き方に耐えられなくなり、自ら『抑圧』という名の衣を脱ぎ捨てて、
主人公のバザーリア先生たちと共に行動するようになります。

ニヴェスの夫は、彼女が精神病院で過酷な勤務につくことを『温かく』支えていたのですが
(そうなのだろうな〜と思われる映像がちょっとだけ入ります)、
彼女が命令や指導に従うのではなく自分の意思で看護師の仕事をするようになると、徐々に溝が出来ていきます。

トスカーナの病院に主人公のバザーリア先生の赴任が決まったと知ったニヴェスは、
子どもを連れて家を出て、病院に出向き、「仕事をください、一緒に働きたい」と申し出ます。


新しい病院でやりがいのある仕事に夢中になっていた彼女ですが、
夫はニヴェスの居場所を探し出し、彼女の家には児童保護監察官からの《子どもの養育放棄》の嫌疑がかけられることに。

一方、病院もそのときに難しい局面を迎えます。
入院患者の女性:マリゲリータが妊娠し、それがなぜか外部に漏れて、一大事となります(予告編に出てきます)。


マルゲリータの妊娠騒動のとき、ニヴェスは言います(正確ではないけど、以下のようなセリフでした)。

「マルゲリータが患者でなかったら、世間はここまで騒がないわ!
 女の子が妊娠するなんてどこにでもある話だもの」


そしてその騒動で法廷に立ち、悔しい思いをすることになったニヴェスのもとへ、
裁判を傍聴していた夫が近づいてきて、
 家に戻っておいで、
 今なら許すから、
 君も疲れただろう、みたいなことを言うのですが、


夫に反論するニヴェスが素晴らしい!!!! 
素晴らしすぎて、何と言ったのかをここに書くなんて出来ないほど(^^)。
その主張には、表面的には《あなたは女の私をこのように見て、このように扱っているのだ》という
女の立場での叫びでありながら、
精神病患者を含む《抑圧される側》に立たされる全ての人の叫びにもなっています。


ぜひ多くのかたにご覧になって欲しいです!


  *  *  *  *  *


この映画は、「180人Mattoの会」の会員なら誰でも上映会ができて、
会員にも、いつでも誰でもなることができます。
・180人Mattoの会


私の場合、この映画の情報は最初、facebook上でだったかな? 見かけました。
Mattoって、石川県の人にとって、松任という地名を想起させるんですよね(笑)
「松任の話なの?」みたいな(笑)。


そんなきっかけでしたけど、ちゃんと見てみたら、全然違った〜f^_^;
Mattoというのはイタリア語で「狂人」のことでした。


「この映画、見てみたいなあ」とつぶやいていたら、
Wen-Doも日頃から一緒にやってくださっているKさんが私のつぶやきを見て
『唯センセ、これやりたいですね!やりましょう*\(^o^)/*  私、会員になっておきますね』と。
え?! ホ、ホントに?! 素早っ!!! みたいな。
Kさん、いつもめちゃめちゃ尊敬しています。ありがとう♡


そんなわけで、金沢での上映会をするのは確定☆
あとは時期を決めるだけ〜♪ 早くても今年の秋かな?と思います。
楽しみにしててくださいね〜。


この映画はトータルで3時間以上あります。
イタリアでは第一部、第2部として二夜で放送されたらしく、ふたつに分かれていますが、
ふたつでひとつの作品になります。

小松上映会は午前・午後と、ひとつずつ上映していらっしゃいました。
この上映時刻だと、午後は2:45頃に終わるので、
金沢でもその方式でやるとしたら、終了後に感想シェアのおしゃべり会も出来そうです。
ただ、そうすると丸一日のイベントになっちゃう…。
やっぱり午後だけで3時間を上映するほうがいいかな?

相変わらず、妄想だけはすぐ広がるのに〜。まとまらない私。


写真はパンフレットです。
Mattoの町の上映会の場合、パンフレットは有料ではなくて観賞料に込みで、必ずつくみたいです(←要確認ですが)。
確かに、これを読むと映画の奥行きが変わる。素晴らしいパンフレットです!


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by selfdefence | 2014-03-30 08:20 | つれづれ


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