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つれづれ

愛情過多は暴力や虐待になるのだろうか?

こんにちは。Wen-Do Japanの福多唯です。

「こころの傷と私らしさ」の学習会で思い出したことを書こうと思います。

そのテーマでの学習会で、「暴力とは?」を終えたあと。
あるかたがご質問をくださいました。

「愛情過多も虐待になりうる…って子育ての講演とかで聞いたことがあって、
 ああそうだなとは思うんですが、まだ今ひとつ整理できていません。
 それについてはどう考えたらいいのでしょうか」と。

ああ〜…、ありますよね。

暴力的(侵入的)な行為をする人は、
自分がした行為で誰かが傷ついたとしても、
それを認めずに、以下のような主張をすることがあります。

「単なる《指示》を出しただけ」
「《冗談》なのに」
「相手の《ためを思って》したことなんだけど…」
「《親切》のつもりでしてやったのに」
「《愛情》があるからこそなのに」


学習会の場では上記のように、他の言い訳と愛情という言い訳は共通点があることをお伝えし、
ホワイトボードに図を書きながら、
《善意》や《愛情》のつもりで行われることが暴力として機能してしまう理由を説明しました。


実はそのときに私の頭には、思い出されていた、別の古い出来事がありました。
学習会では時間の関係でご紹介できなかったので、こちらに書こうと思います。

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思い出されていたのは、かなり以前の、ある人との会話の場面です。


私は子育て支援系の活動の場で、
虐待や過保護や過干渉について育児中のお母さんたちと話をしていました。


そのとき、あるお母さんが、
「自分が何を辛く思っていたのかの、本当のところに、
 今はじめて気づいた…」と、しばらく泣いたことがあったのです。


私が相づちを打ったのがきっかけで泣きだしてしまったので、
私の不用意なあいづちのせい?!と内心私は超オロオロになったのですが、


泣き止んだ後にその人はとてもさっぱりした顔で、
「そういうことだったんだとわかって、すんごいスッキリした♪」と。


経緯はこうです。


(15年近く前の話で、ご本人に承諾をいただこうにも連絡が取れなかったため、
 以下は細部や具体的なエピソードは変えて書いたものです。)


彼女の親御さんは、夫婦そろって健康的な食事にこだわりがあり、
彼女が幼かったころからずっと、健康的な食べ物しか出しませんでした。

それは美味しく、彼女は普段はその食生活に不満や寂しさを感じてはいなかったそうです。
でも、学校での遠足のときはきつかった、という話をしていました。

親御さんが持たせてくれるお菓子がすべて手作りで、市販のものではないので、
彼女は友達とおやつ交換が出来なかったそうなのです。

ああ〜、それは子どもにとっては一大事だよね、みたいな感じで
皆で彼女の話を聞いていたら、彼女は話を続けました。


『しかも、家に帰ると親が聞くんですよ、私に。
 「今日のおやつ、美味しかったかな?(*^^*)」って』

そのときに、私は、
《うわぁ、それはきついね。そんなことを聞かれたいわけじゃないよね》とかなんとか言いました。
さほど細かいことを考えて相づちを打ったわけではなかったので
正確に何と言ったのかは覚えていません ^_^;
私としては無難であろうはずの、あいづちでした。

すると、彼女はハッとして、しばらく言葉が出なくなり
目に涙をためはじめて…泣き出しちゃった!!


  *   *   *   *


泣き止んでから彼女がしてくれた説明はこんなものでした。


彼女は、遠足のときにおやつ交換が出来なかったことが自分の傷つきの理由だったと
ずっと思ってきたのだそうです。

でも同時に、『どうしてその程度のことを大人になってまで引きずっているのだろう?』とも感じていたそうです。
その程度のことは誰にでもある、と。

そして、私達とその話をしていたとき、
彼女は途中までは、おやつ交換が出来なかったということを話すつもりだったし、
実際その話をしたわけだけれど、

『しかも、家に帰ると親が聞くんですよ、私に。
 「今日のおやつ、美味しかったかな?(*^^*)」って』

と私達に語り、
それに対して受容的な相づちをもらったときに、

《そういうことか…!》と、なだれのようなことが心の中で起きたのだそうです。


  *  *


彼女のご両親の作るものはお弁当もおやつもとても美味でした。
ですから、
『「美味しかった?」ときかれて、美味しくないとはまさか言えない』というような、
わかりやすい葛藤が当時の彼女にあったわけではありません。

美味しかった?と聞かれたとき、
彼女は「うん、美味しかった(^^)」と毎回答え、
それは彼女にとって偽りでもその場しのぎでもなく、真実でした。

でも、彼女はそのやりとりの積み重ねでこそ、深く自分が傷ついたのだ、ということに
気づいてしまった、というのです。

《私が親からほんとうに聞いてもらいたいことは、そんなことではなかったのだ。
 そして、私は、一番きいてもらいたいことを聞いてもらえたことが一度もない…》

と、自分の深いところにある悲しみに気づいてしまった。


  *  *  


彼女が親からほんとうに聞いてもらいたかったことは、




遠足のときのおやつは、何がいい?』でした。


  
  *  *  


彼女の親御さんは聡明で、
親御さんが彼女に与えてくれるものは全て良質で、間違いがなく、
不満など抱きようがないものばかりでした。

不満を感じようがない環境で愛情たっぷりに育ててもらった。
なのになぜ、自分は大人になってまで、
なんとなく親に対して、モヤモヤするものを抱え続けているのだろう。

しかも、『友達とおやつ交換ができなかった』などという小さなことに
なぜ自分はこだわり続けているのだろう…。


彼女はずっとご自身についてそう思ってきたのです。


でも、

自分が自分をそのように責めてしまった理由も、
ずっとどことなくもやもやしていた理由も、
遠足時のおやつのことが未だに未解消に思われる理由も、
すべてを含めて、
ああ、そういうことだったんだ!!と、わかったのだ、と。



「私の愛情とその印は、あなたにとっておいしい?」と聞くことに替えて、


あなたはどう思う?

あなたは何を選びたい?

あなたはどんなものが好き?

あなたは今どう感じている?

あなたはどう考える?

一言でいい。そう尋ねる。
そのことには想像よりもはるかに重みと威力があります。

人の境界を侵害せずにコミュニケーションをはかる上でも重要ですし、
愛情や善意で人を知らないうちに抑圧しちゃってました…という事態を防ぐのにも役立ちますし、

さらに、私が気に入っている視点は、

思いがけずかけがえのないギフトになり得る、ということ。


人は一般的には、面倒くさいことは避けたい傾向を持つので、
機会が与えられなければ、そして、自身が興味を持てる事柄でなければ、
上記のようなことを自発的に考えたり言語化したりすることはないように思います。


世の中で起きるあらゆる出来事や、身の回りの人のあらゆる言動や、
自分自身の全てについて、いちいち上記のように考えて立ち止まっていたら、
日常は回せなくなってしまう。


だからこそ、自分ではない誰かからそう聞いてもらえて、
その答え出すのを待ってもらえるという機会そのものがギフトになる。


そうした機会をお互いに与えあえるような関係性を私は人と築きたいなと思います。


『無自覚に人を傷つけていました』という事態を防ぐために…との動機ではじめたことが、
人にとっても自分にとってもギフトになる♪って思うと、
ちょっと良くないですか(*^^*)?(←出た! 善意やポジティブさの押しつけ!w)


今後の学習会でも、
どうかまた、よろしくお願いします。

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by selfdefence | 2014-02-06 12:43 | つれづれ

ふくだゆいです。自己表現や思考スキル、日本語の講師です。20年以上前のある日、声をあげたら、『蓋』が開いたんです。びっくりでした。蓋の存在にすら気づいていなかったので。以来、困ったときには探すようになりました。どんな声でどんな蓋を外したらいいのだろう?と。基本閉じていてひとりの時間が好きな私でも、声探しに助けが欲しくなることがあります。声探しの場を求める人と繋がれたら嬉しいです。


by selfdefence