つれづれ

愛情過多は暴力?

昨日は「こころの傷と私らしさ」の学習会でした。

全2日間のこの学習会。
初日午前中のテーマは「暴力とは?」です。

《暴力の構造》を考える時間で、
他者への指示、要求、接触…などが暴力として『作用』するのはどういうことかを
考えて整理していたときのこと。
あるかたがご質問をくださいました。
「愛情過多も虐待になりうる…って子育ての講演とかで聞いたことがあって、
 ああそうだなと思うんですが、理論的には整理できていないんです。
 それについてはどう考えたらいいのでしょうか」と。

とってもステキな質問をありがとう!
おかげで、そこに絡めながら説明させていただける流れができ、
他の参加者さんも『うんうん!』みたいな感じでした。

暴力的(侵入的)な行為をする人は、
自分がした行為で誰かが傷ついたとしても、
それを認めずに、以下のような主張をすることがあります。

「(役割として必要だった)単なる《指示》を出しただけ」
「《冗談》なのに」
「相手の《ためを思って》したことなんだけど…」
「《親切》のつもりでしてやったのに」「《愛情》があるからこそなのに」

親子関係でもありがちですよね。

ご質問をくださったかたは、
自覚なしで子どもや周囲の人を傷つけることになるのは避けたいとのお気持ちから、
質問をくださったのでした。

学習会の場ではホワイトボードを使って図を書きながら、
《善意》や《愛情》のつもりで行われることが暴力として機能してしまう理由を説明し、皆さんそれで「なるほど!」となってくださったので話をそこまでにしたのですけど、

そのときに私の頭には、思い出されていたとある出来事がありました。
学習会では進行の関係で省いたそのエピソードをご紹介します。

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思い出されていたのは、かなり以前の、ある人との会話の場面です。
私は子育て支援系の活動の場で、
虐待や過保護や過干渉について育児中のお母さんたちと話をしていました。
私も、いわゆる子育て中のお母さん の時期でした。

そのとき、ある人が、
「自分が何を辛く思っていたのかの、本当のところに、
 今はじめて気づいた…」と、しばらく泣いたことがあったのです。

しかも私が相づちを打ったのがきっかけで泣きだしてしまったので、
私の不用意な発言のせい?!と内心私は超オロオロに ^_^;

泣き止んだ後にその人はとてもさっぱりした顔で、
「そういうことだったんだとわかって、すんごいスッキリした♪」と。
経緯はこうです。

  *  *  *

彼女の親御さんは、夫婦そろって健康的な食事にこだわりがあり、
彼女が幼かったころからずっと、健康的な食べ物しか出すことがなかったそうです。
それは美味しく、彼女は普段はその食生活に不満や寂しさを感じてはいなかったそうですが、
学校での遠足のときはきつかった、という話でした。
親御さんが持たせてくれるお菓子がすべて手作りで、市販のものではないので、
彼女は友達とおやつ交換が出来なかったそうなのです。

ああ〜、それは子どもにとっては一大事だよね、みたいな感じで
皆で彼女の話を聞いていたら、彼女は話を続けました。

『しかも、家に帰ると親が聞くんですよ、私に。
 「今日のおやつ、美味しかったかな?(*^^*)」って』

そのときに、私は、
《うわぁ、それはきついね》とかなんとか言いました。
さほど細かいことを考えて相づちを打ったわけではなかったので
正確に何て言ったのかは覚えていません ^_^; 
私としては無難であろうはずの、とりあえず的なひとことでした。

すると、彼女はハッとして、しばらく言葉が出なくなり
目に涙をためはじめて…泣き出しちゃった!!


  *   *   *   *

泣き止んでから彼女がしてくれた説明はこんなものでした。

彼女は、遠足のときにおやつ交換が出来なかったことが自分の傷つきの理由だったと
ずっと思ってやってきたのだそうです。

でも同時に、『どうしてその程度のことを大人になってまで引きずっているのだろう?』とも感じていました。
その程度のことは誰にでもある、と。

そして、私達とその話をしていたときにも、彼女は途中までは、
おやつ交換が出来なかったということを話すつもりだったし、
実際その話をしたわけだけれど、

『しかも、家に帰ると親が聞くんですよ、私に。
 「今日のおやつ、美味しかったかな?(*^^*)」って』

と私達に語り、
それに対して受容的な相づちをもらったときに、

《そういうことか…!》となったのだそうです。

  *  *

彼女のご両親の作るものはお弁当もおやつもとても美味でした。
ですから、
『「美味しかった?」ときかれて、美味しくないとはまさか言えない』というような、
わかりやすい葛藤が当時の彼女にあったわけではありません。

美味しかった?と聞かれたとき、
彼女は「うん、美味しかった(^^)」と毎回答え、
それは彼女にとって偽りでもその場しのぎでもなく、真実でした。

でも、彼女はそのやりとりの積み重ねでこそ、深く自分が傷ついていたのだ、ということに
気づいてしまったというのですね。

《私が親からほんとうに聞いてもらいたいことは、そんなことではなかったのだ。
 そして、私は、一番きいてもらいたいことを聞いてもらえたことが一度もない…》

ということが見えてしまった。

  *  *  


彼女が親からほんとうに聞いてもらいたかったことは、

《遠足のときのおやつは何がいい?》でした。

  
  *  *  


彼女の親御さんは聡明で、
親御さんが彼女に与えてくれるものは全て良質で、間違いがなく、
不満など抱きようがないものばかりでした。

不満を感じようがない環境で愛情たっぷりに育ててもらい、
なのになぜ、自分は大人になってまで、
なんとなくモヤモヤするものを抱え続けているのだろう、
しかも、『友達とおやつ交換ができなかった』などという小さなことに
なぜ自分はこだわり続けているのだろう…、
彼女はずっとご自身についてそう思ってきたのです。

でも、自分が自分をそのように責めてしまった理由も、
ずっとどことなくもやもやしていた理由も、
遠足時のおやつのことが未だに未解消に思われる理由も、
すべてを含めて、
ああ、そういうことだったんだ!!とわかったのだ、と。


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あなたはどう思う?
あなたは何を選びたい?
あなたはどんなものが好き?
あなたは今どう感じている?
あなたはどう考える?


これらのひとことは、想像よりもずっと重みと威力があります。

人の境界を侵害せずにコミュニケーションをはかる上でも重要ですし、
愛情や善意で人を知らないうちに抑圧しちゃってました…という事態を防ぐのにも役立ちますし、

さらに、私が気に入っている視点は、

思いがけずかけがえのないギフトになり得る☆ ということ。


人は一般的には、面倒くさいことは避けたい傾向を持つので、
機会が与えられなければ、そして、自身が興味を持てる事柄でなければ、
上記のようなことを自発的に考えたり言語化したりすることはないように思います。


世の中で起きるあらゆる出来事や、身の回りの人のあらゆる言動や、
自分自身の全てについて、いちいち上記のように考えて立ち止まっていたら、
日常は回せなくなってしまう。


だからこそ、誰かから「聞いてもらえて、その答え出すのを待ってもらえる」機会がギフトになるのですよね。
そうした機会を与えあえるような関係性を私は多くの人と築きたいなと思います。


『無自覚に人を傷つけていました』という事態を防ぐために…との動機ではじめたことが、
人にとっても自分にとってもギフトになる♪って思うと、
ちょっと良くないですか(*^^*)?(←出た! 善意やポジティブさの押しつけ!w)


学習会は2月19日の2日目へと続きます。
みなさま、またよろしくお願いします。

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by selfdefence | 2014-02-06 12:43 | つれづれ

Wen-Do Japanの福多唯です。今のあなたの「これさえ言えれば…」は何ですか。本当の声をあげたそのとき、世界は変わる。


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