Wen-Doインストラクターの福多です。
今日はバレンタインデー。
そして、近所のフェアトレードショップで映画「バレンタイン一揆」の上映会があったので
行ってきました。
チョコレート生産には児童労働があることをガーナを訪ねて身をもって知った、日本人の3人の女性が、
フェアトレードを広めるために、「バレンタイン一揆」というイベントを企画します。
その結末は…。
という作品です。
公式サイト
http://acejapan.org/campaign/15th/
* * *
上映会を企画なさったショップのオーナーさんは、
「合わせてご覧になるといいかなと思うものがあるんです。
7年前にテレビ放映されたものなんですけど」と、
20分程度の映像を、まず上映してくださいました。
それと一緒に「バレンタイン一揆」を見ることが出来たのがとっても良かった!
というのも、「バレンタイン一揆」には、カカオの原産国であるガーナでの
児童労働の実態を直接映す映像は出てこないのです。
ガーナでも法に触れることなので、通常ならそんな撮影を農場の人も許可はしません。
でも番組は7年前のもので、当時はまだまだ「本当はいけないことをしている」という
意識すら浸透しておらず、うっかりというか何のうしろめたさもなくというか、
撮影を許可してしまった農場があったようです。
そのため、その放映には、農場で働く子どもたちが、姿と名前と両方明らかにされた上で
しっかり映っていたのでした。
* * * * * * *
さて、「バレンタイン一揆」ですが、
3人の女性(大学生)たちが
世界の子どもたちを児童労働から守る活動をしているNGO『ACE』のワークショップをきっかけに
ACEのスタッフと共にガーナを訪れます。
そして現地で、児童労働を撲滅し子どもが学校に通えるように活動をしている『CRADA(クラダ)』という団体の
ナナ・ブレイポンさんの案内のもと、
かつてカカオ農場で働かされていた男性(といっても15歳。でもすごくしっかりしている!)から
話を聞いたり、
かつて子どもたちを農場で働かせていたけれども
今は皆学校に行かせていて、子どもを働かせてはいないという家族から
話を聞いたり、
その一家の皆と「カカオはチョコレートになるんだよ」とチョコレートを分け合って食べたり、
(カカオ農場で働く子どもたちはチョコを食べたことがありません)
農場を訪れて農場労働体験をしたりします。
帰国後に彼女達は、バレンタインデーに、街の人々に
フェアトレードショップのチョコレートを買ってもらうような
キャンペーンイベントを立ち上げます。
映画の中では、スケジュール的なことはさほど触れられていなかったのですが、
2012年の1月8日にガーナに到着、とテロップが出ます。
そして1月24日に「帰国して1週間後、報告会が…」と展開するので
滞在は1/16頃までだったのかなとわかる。
「バレンタイン一揆」は2月11日だったかな。
私はこのスピーディさに颯爽とした勢いを感じました。
* * * * * * *
65分の短い映画です。特別に見せていただいたテレビ放映も合わせて90分弱。
農場で働かされている6歳のコフィくんを見ながら
「私が好きなG●DIVAのミントスティックの原材料はどうなのかなあ…」とぼんやり思ったりします。
そして数秒後にはこうも思うのです。
「でも、うちで飲んでる緑茶の全部が静岡や宇治のお茶農家から買ったものじゃないし…。
『水だしOK』っていう安いのも飲んでるし…」
「私がよく飲むコーヒーも、あの値段で私が買えるっていうことは、
現地の農家にはいくらの収入になるのかなんて知れてるよな…。
もしかしたら子どもが働かされているのかも…」
などなど。
* * * * * * *
話はちょっと飛びますが。
昔、広告代理店で雑誌編集の仕事についていたときに、
会社の仲間と、『性善説と性悪説ならどちらを支持するか?』という話題になったことがあります。
当時の私はすごーく厭世的で尖っていて、何事に対しても斜に構えていたので
(まあ、そういう私を皆が面白がったり可愛がったりしてくれたので、
あの職場は良い仲間ばかりで良かったなぁ…と今も思いますけど)、
当然のように「性悪説だ」と答えました。
仲間の先輩は
「えー? そうお?
私は、やっぱり人って、みんな根はいい人やって思うよ。
それに、いいことをしたい気持ちってみんな持っとるがいね?
(持ってると思うんだよね、の金沢弁)
だからやっぱり性善説やと思うな〜」。
当時の私は言いました。
そうかもしれないけど、100%の善人になれる人なんていない。
誰だって、しまった! と思うことをやってしまうし、
人には言えないようなことを内心で考えている。
なのに、生身の人間だもの…、と、言い訳したり妥協したり強がったりして、
うしろめたさをごまかしながら生きている。
人間はその程度のものだ、と私は思う。
* * * * * *
思い出していました。
「バレンタイン一揆」を見ながら、あのときのやりとりを。
なぜ、あの当時、私はあんな↑セリフしか言えなかったんだったっけ…?
(まあ、気持ちは今もわかるんだけど。←本人なのだから当たり前)
『もっともっと』と、常に自分を追い立てていたような気がする。
もっと賢く、もっと強く、もっと知的に、もっと明るく、もっと善い人に…と、
あらゆることについて。
私が今日、「バレンタイン一揆」を見て、
今日の私がフェアトレードのチョコレートを買ったとしても、
来週は、スーパーマーケットで、『わけあり激安』というチョコを買うかもしれない。
私が今日、「バレンタイン一揆」を見て、
今日の私がフェアトレードのチョコレートを買ったとしても、
帰宅後にはもう、ネットで通販サイトを見て、
あ、このコーヒー豆安い♪と思いながら、購入ボタンを押すかもしれない。
昔はそんな自分が許せなかった。
偽善者のようで、中途半端で、許せなくて、でもそうしないと生きていけないから辞められず、
結局は常に自分を責めるしかなかった。
せめて自分を責めていなきゃ、赦されないように思ってた。
今は、当時の私に比べたら多少は社会のシステムが見えるようになっていて、
個人の努力で今日明日中にどうにか出来ることなんて
ほんのわずかなことしかないんだ、ということもわかる。
だからこそ逆に、
この社会のシステムの渦の中で、こんなに沢山の誘惑と抑圧に囲まれながら、
それでも、今日の私がフェアトレードのチョコを選んだのなら、
それはそれで、悪いことをしたわけじゃないのだし、
喜んだり褒めたりしてもいいんじゃない?(^-^)と
自分に微笑んであげたいなと思います。
《生産農家のことを想像しながらフェアなチョコレートを買いましょう》とか、
《その絨毯がその価格なのは、児童労働という搾取構造があるからですよ》とか、
そういうことは、私は今でもまだ言えないのだけど、
『今日は何か、ちょっと、イイコトをしたい気分だな』というときに、
イイコトをして、自分を満たせる大人でいたいし、
そのためにも、
『別に、気が向いたときに、ほんのちょっとだけの行動でも充分じゃん。
人生や価値観を丸ごと変えろ!とかじゃなくたっていいじゃん』と、堂々と言える自分も
ちゃんと自分で支えていられるようになりたいな。
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