つれづれ

沈黙してても大丈夫

こんにちは。
Wen-Do インストラクターの福多唯です。


去年と同じく、トロントでは師匠であり友人の家に滞在させてもらっています。
今日、話をしていて、かなり興味深い気づきがひょん!と出てきました。
長くなると思うけど、書いておこうと思います。

* * * * *

昨年トロントから帰るときに彼女が私を空港に送ってくれて、
別れ際に思わず涙があふれてしまったのですが、
彼女は私がかぶっていた帽子をもっと目深にギュッとかぶせて、
「泣かないの!(^-^) じゃあね」と去って行ったのでした。

そのときのことを彼女が「もし気を悪くしないなら聞きたいんだけど」と。
「あのとき泣いてたよね。あのあと、どうなったの?」


どうなった...っていうのは?
飛行機でも泣いてたのか?って意味じゃないよね?


「うん、そうじゃなくて、あんな感じで帰国したあと、
一週間後、2 週間後...と、唯の気持ちはどんな風になったのかな、と」


えーーーっと。それは日本語でも答えるのが難しいな(苦笑)


「じゃあ、ちょっと質問を具体的にしたほうがいいかな。
お別れが悲しかったの?」


そうだね。ええとね...。
悲しかったは確かにそうなんだけど、私の内側でどんなことが起きたか、
ってことをあなたは知りたいんだよね?!
ちょっと思い出してみるね...。
...。
ええとね...、
ああ、これでトロント滞在も終わっちゃうんだな、って思ったの。


そのあと、私は以下のようなことを話しました。


* * * * *


去年のトロント滞在の 1 ヶ月は、私にとって、
人生で非常に稀で、貴重な経験の出来た時間でした。


他者から一切の指示や強制や(悪い意味での)期待のない生活でしたし、
他者のケアをする全ての義務から解放されて過ごした時間。


去年の7月にこのブログにも書いたように、
コントロールを一切されない環境に身を置いてみると、
自分がいかに普段人を安易にコントロールしようとしていたかがわかりました。


そして、『本当に必要なこと』しか口にしない環境・時間も貴重でした。


私にとって英語は母国語ではなく、
私自身が生命レベルで不便を感じない程度には話せても、
日本語並に思いついたことをポンポンというわけにはいきません。


話すとなると、言いたいことを日本語で思いつき、頭の中で英語に変換してから話す感じなので、
ワンテンポ必要です。


そのワンテンポの際に、『ま、いいか。これをわざわざ言わなくても』と淘汰される事柄が、
英語環境では沢山出てきます。


例えば。食事を彼女と一緒に作っているときに 「普段は何を食べるの?」とか「好物は何?」と
聞こうかな?という思いがわいても。


英語に変換しようとするうちに、そんなこと別に聞かなくてもいっか、と思うの。
だって、普段は何を...だなんて、色々食べるに決まってるし(笑)、
好物は私が彼女をちゃんと見てさえいれば、そのうちなんとなくわかってくるだろうから。
「好物は何?」と質問されるより
「あなた、●●が好きだよね☆」って言ってもらえるほうが嬉しいよな、とか。


あと、時々日本の家族と連絡をとっていたので、
息子の自転車が盗まれたと聞いたりして「えー!」ってなったり、
トロントでの新鮮な出来事に感情が動くことはもちろんあるものの、


日本でなら、友達などに「ちょっと聞いて〜!」となるのでしょうが、
あちらでは、単純にそうはならないのです。
だって、聞いて〜!ってことって、
自分の気持ちにフィットする言葉やペースや語調で話さないと、
なんだか、ただの説明になっちゃって、自分でも話してて楽しくないので。
だから、気持ちが内側で動いてても、
他者に対してあまり「聞いて〜!」っていうモードにならないのです。


そんなこんなで、私はトロントではさほどおしゃべりではなく、
私のペースでしたいことをして過ごし、沈黙の時間も多くなります。

日本なら、私は多分もっと話すと思います。言葉が自由だから。

そして、言葉を自由に扱える自分が誰かと共に居ると、
『沈黙していないで、何か言ったほうがいいんじゃないかな』という気持ちが湧いてくる。

《課題に対して何をすべきかが見えて、それを自分が出来るとわかっていると、そ れをしないのは何か申し訳ないような気持ちになる》みたいな、
ちょっと不思議なことが私自身の中で起こります。

日本語環境ではそういうことが常に起こっているのだなぁ…と
去年の滞在で気づいたし、
沈黙してても、何も気遣わなくてもOK なトロントでの時間が終るん だな、と思ったら、
なんか涙が出ちゃった。


私が彼女にそう言うと、彼女は言いました。
「わかるわ」


「日本人でなくても同じよ。
  私達は言葉が使えさえすれば、沈黙をためらうし、気まずく感じるものよ。
 でも、誰にとっても、本当は、
 沈黙しあっていて許される関係や環境や時間が必要だよね。そう思わない?」


そうだね。必要だよね。
けど、やっぱり沈黙は避けたがる人が多いね。
   
   なぜ、人ってそうなんだろうね…。

なんかねー、人と一緒にいると、つい欲しくなっちゃうの。



「欲しくなる? 何を?」


何をだろう。...? そうだよね。
何かな。…他愛ないこと。

   …例えば、

話しかけてもらいたくなったり、楽しい時間をもらいたくなったり、
笑いや喜びをもらいたくなったり。
言葉とか、プレゼントとか、触れ合いとか。
   それが無理なら、
好きな人からのメールとか?!(笑)。


「そうだね。わかる。欲しくなるね」


ね。欲しいよね。なんでだろうね。

沈黙(サイレント)の中でも、
   自分が誰かから想われていて愛されているっていう印として、
言葉や注目や何かが欲しくなるものなのかもしれないね。


なのに、本当に欲しいのは共感とか愛なのに、
いつの間にか、「こう言ってくれなかった!」とか
「あれをして欲しかったのに!!」って話になっちゃったりして。ね。


と、自分自身で彼女に話した瞬間に、


『そうだよ! 私が欲しくなるものは、“印”に過ぎないものなんだ。
だからそれが期待通りに手に入らなくても、落胆する必要なんてないじゃん』

と!☆


私は言葉や物や言動に乗って気持ちが届く瞬間が好きなので、
これからもそういうものを欲しくなることには変わりないと思うけど、


誰かが私の期待通りのものを私に与えてくれなくて寂しくなりかけたときには、
今日の気づきは、かなり、役立つような気がします♪
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by selfdefence | 2012-11-06 10:41 | つれづれ

女性のためのセルフディフェンスWen-Do Japan代表福多唯です。本当の声をあげたそのとき、世界は変わる☆と信じて、女性の声とエンパワーのための研修・講習・講師養成をしています。


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