今日はちょっと沈んでます。ま、こんな日もあるのです。
というのは、こんな話を耳にしたのでした。
*以下の原稿は、実物とは諸要素をちょっとずつ変えて書いてます。
酷似する状況のご家庭やお子さんがいるとしても、その家のことではありません。
* * * * *
その家では、父親が母親に長いこと情緒的/精神的なDVを振るっていました。
子どもは3人。
高校を卒業したての長男。高校生の長女。中学生の次男。
その、3人の子どもを残し、おかあさんはある日、とうとう、家を出て行ってしまいます。
けれど、『お母さんが出て行きたくなるのは当然だ』。
子どもたちもそのように受け止めていたので、母親を恨むことはなく、
父親との生活で、様々な我慢をしながら暮らしています。
父親は自営業で、長男は父親の仕事を手伝っていたため、
学生は、高校生の長女と、中学生の次男のふたり。
夏休みがあけて、高校生の長女に、学校から進路希望調査のプリントが配られました。
志望校を具体的に2〜3書いて出すものです。
提出には保護者の署名と押印が要るため、親と進路について話さなくてはなりません。
長女は、関西圏のある大学への進学を希望していました。
父親にそれについて話すと、
「中学生の次男、あいつはすごく頭がいい(本当にとても成績が優秀なのだそうです)。
このまま順調に伸びれば、どの大学だって選び放題だ。
次男の頭脳は生かさなければならないし、あれほどならば好きな道を行かせてやりたい。
そのための進学資金の確保が必要だ。
お前は女で、成績もたいして良くないだろう?!
ましてや一人暮らしをさせてまで、そんな2流大学に出すような金はうちにはない」
と言われてしまいます。
それだけではなく、
その大学に進学してその地域で一人暮らしをすることになった場合に、
どのくらいの光熱費や家賃がかかるか、長女は徹底的に調べあげさせられた上で、
(調べる過程で『こんないいかげんな調べ方じゃダメだ。やり直せ』
『こんな簡単なことすら調べられないのか、お前は』
『こんなに安く済むわけないだろう』
『最低金額で調べてどうするんだ。バカか。
多めに見積もらなきゃ、ギリギリの生活すんのはお前自身だぞ?!』
と何度もネチネチやられます)
父親の言うとおりに、余裕をもった金額で、
4年間にかかる学費と一人暮らしに必要な資金、引っ越しにかかる費用等の総額を調べて出すと、
「お前に、これほどの投資価値があると思うか? そこまで自信過剰か?!」と言われます。
長女は、母親が出ていったこともあり、自分も早く家を出たいと内心思っていました。
一人暮らしが必要な土地への進学を希望したのはそのためでもあります。
あんたと一緒に暮らしていたくないから、●●大学に行きたいんだよ!と
言いたいのは山々だけれど、
それを言ったところで、今すぐの経済的自立は不可能で、
とりあえず高校卒業まではこの父親と暮らすしかないとわかっている彼女は、
進路希望のプリントに父親の署名と押印をもらうために、
進学を叶えるために、
経済的に何か方法はないか、必死で考えました。
奨学金を借りて進学することは出来るだろうか?
そう考えて、制度について調べ、父親を説得できるようにまとめ、
大学進学資金は将来自分で返済するから、奨学金で●●大学に行きたい、
受験したいと父親に話します。
しかし、というか、やはり、というか、
父親は反対します。
「結局はオレが保証人にならなきゃならないだろーが。
何かあったときに尻拭いをさせられることになるのはこっちだ。
こんなに調べて、そんな基本的なこともわからないのか。
第一そんなことを調べてるヒマがあったら勉強して成績をあげてみろ。
余計なことにうつつを抜かして遊んでばっかりいるからお前はダメなんだ。
今のレベルの成績で大学に行きたいだなどと、甘えるのもいいかげんにしろ」
* * * * *
DVに詳しい人なら、いや、そうでなくても、お気づきになると思います。
この父親の男尊女卑的な価値観。
調べものを強制し、
長女は節約して現実的な金額で調べを進めていたにもかかわらず、
高額な結果になるように仕向け、
お前にそんな投資の価値はない、と侮辱する。
長女が自分で奨学金について調べても、それにはいい顔はしません。
長女が『自主的』に行動するのが、
父親のコントロールを抜け出そうとするのが、気に入らないから。
そして自分はさんざん長女に調べものを強いたにもかかわらず、
長女が自発的に調べたことについては、
「うつつを抜かしているからお前はダメなんだ。成績をあげてみろ」と言い、
次男の進学資金確保のために長女には資金を出せないと言っていたのを、
長女の成績が原因で、
長女の勉学の努力が不足しているために
進学が不可能であるかのような言い方にすり替えていく。
* * * * *
次男は長女が父親から何を言われ、何をさせられるか、
同じ家庭内でずっと見て感じています。
そして長女に「おねえちゃん、ごめんなさい」と言うのだそうです。
長男は、自分に何ができるか…と考えると、家業を盛り上げ、お金を稼ぐことが一番と考えます。
お金さえあれば、妹も弟もふたりとも進学出来るのだろう、と。
家に居たくない気持ちも、もしかしたらあったのかもしれません。
結果として、家には寝に帰るだけになり、長女や次男との関わりが薄れます。
母親が家を出ていったことで、DVは表面的には終ったのかもしれませんが、
長女やこの家の子どもたちが置かれているこの状況を、
そしてこれまでの過程環境を『虐待だ』と言ってしまうのは、言い過ぎなんだろうか。
厳しくて口うるさくて、子どもの言うことなどには聞く耳を持たず、
一方的な言い分ばかりの親は珍しくない、どこにでもいるものだ、と
それだけでいいんだろうか。
多くの子どもは親への反発心を経て自立するものだ、などと捉えていいんだろうか。
そして何よりも、
この父親の話に怒りを覚えた私は、この父親に非難を向けられるほどの人間なのか?
* * * * *
こうした話を身近で聞いても、私には直接は何もできないなぁ…と感じてしまい、
今日はちょっと沈みました。
そして、支配的で独善的な父親の姿に、
私自身との共通点を見出せてしまうことがとっても嫌でした。
『私はここまでひどくない』と思いたい私がいる。
正義やらしつけやら教育やら節度やら常識やら…を振りかざして暴力を振るう人々は
大勢いることを
悲しいことに、“私は知っている”くせに。
人はみんな、自分がしたいことに夢中になっていいんだ、ということ、
そのための力をみんな既に持っているんだ、ってこと、
無力で無能な人なんていない、ということ、
自分の心や身体の力を正当に使うことが出来るのは、自分だけだということ、
私がWen-Doで語るメッセージと私は、どこまでちゃんと一体になれているんだろう。
でも、自己嫌悪じゃなく、前に進もうと思います。
この記事は、この件での反省や振り返りは今日でおしまい!にしたくて書きました。
その長女に「私はダメだ」と思って欲しくないから。
私も、私を「私はダメだ」と思わない。
あと3週間後にはカナダです♪ 前に進むぞ!